意識体との交流・過去の清算
2022年12月 8日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)
11月13日に、大阪でシンロジカル・セミナーが開催される前日の夜明けごろ、はっきりとした声で「赤は魔除けになるから、身に着けていけ……」という声だけが届いたのです。起床しても言葉の内容を覚えていることから、迷いながらも赤いマフラーを身に着けてセミナーに参加しました。
セミナー中には参加者の一人に、イコンシールのダークとライトを身体のポイントの数か所に貼って、コロナの後遺症的な波動、またはワクチン接種により発生した体内の阻害要因を除去する実験が行われたのですが、イコンシールを貼るごとに、その参加者に影響を与えていた悪魔的なエネルギーが排出されて、一番前列でセミナーを受けていた私はかなりの至近距離でそのエネルギーを浴びてしまうことになりました。
「…なるほど、これがあったから赤を身に着けて行けということだったのか……」
何者からの助言かわからなかったのですが、従っても大きな問題は起こらないと思って身に着けてきてよかったのですが、覚醒時でなくても、はっきりと声が聞こえるという体験を私はあまりしたことがなかったので、セミナー後に確認を会長にさせていただきました。
確認したかったのは、二つです。
古来から伝えられている「赤色はほんとに、魔よけの効果があるのか」と、「何者がその言葉を送ってきたのか」ということです。セミナーの前日に送ってきたということは、その確認を私ができるタイミングで干渉してきたということだと考えました。いただいた答えは、実際に赤色に魔よけの効果はあるそうで、また言葉を送ってきたものは「君に送ってくるぐらいだから、どうせシンレイカイにいるものだから、位置が高いものではないよ」的な返答でした。
ううっ……やっぱり、シンレイカイ担当になっているのですね、わたし。まあ、こうしてブログを書かせてもらっているので、そうなのでしょう。シンレイカイ……たしかにグランドクロスの一番下ですから、下層には、地獄も魔界も存在するということですよね。
今まで私の人生では、ほかの意識体との交流はほとんどなかったのですが、次元の変動とともに、これからは頻繁に接触や交流が起こるかもしれません。その時に、どのように対応すればいいのかというのが、いままでそんな体験がない普通人だった私の戸惑いです。相手がどんな存在なのか、または伝えられたことが正しいのかどうかはどうやって見極めればいいのでしょうか。
「いわれたことをやってみて、結果が芳しくなかったらそれは正しくないものからの助言だったということだよ」と会長。
そうですか、いちいち穴に落ちて確認をしなければならないのですね。めんどうくさいですね。
これとは別の話で、前回報告した畑の整備中に、応援メンバーの一人から、「耕運機を使うのは、〇〇(日戸乃子)はダメだけど、ヒロにならできる」と、お母さんが言われていると申告がありました。母親は七年前に亡くなっており、今年の初めに七回忌も終わっていたのですが、実家の片づけや畑の片づけは気になったのか現れていたようです。身近でヒロがつく名前は二人。そのうちの一人は妹です。
その時に、私の中で怒りの感情が動くのがわかりました。
「亡くなったのちまで、私を否定して、妹をひいきにするのか」という負の感情です。幼いころから、妹のことをたった四歳しか違わないにもかかわらず母親の目線と同じように心配するように、なかば強制されてきましたが、いい加減にしてほしいと思っていました。母親が、心配し、かわいがっていたのは妹のほうで、それによって傷つき続けてきた私がいました。その習慣が、反射的に感情となって胸中に現れたのですが、冷静になって考えてみれば、それはどうでもいいことなのです。乗り越えた問題で、要するに人の感情や判断は止められないということを、長い年月をかけて私は理解しました。
母親は、私よりも妹と気が合ったのだろうし、そう思うことは止められない。しかし、それで大人になった私が傷つく必要はないということです。ものすごく単純な道理だったのですが、子供の時分にはその環境から逃れられないことから、これらのことが理解できませんでした。不公平を感じるたびに、怒りと情けなさに包まれたものです。
でもこれは、人類にとっての永遠のテーマの一つです。カインとアベルの話から分かるように、古くから兄弟の、または姉妹の間の不公平な扱いや、親の愛情の偏りは普通にありました。これが男の子と女の子の組み合わせの兄弟だとまたケースが異なり、無数の軋轢のバリエーションが生まれます。多くの人が、それを経験して、老年になってもその時の悔しさの感情を傷として持ち、きちんと理解できず整理できていない人が、ほとんどなのだということも知りました。人類が持つ、妬みの原型のひとつです。
自分の問題と、他人(親)の問題を分けて考えることで、記憶の中の出来事も整理されていくのです。今回のケースでは、条件反射のように私から負の感情が出てきてしまったけれども、しばらくたってから『母の思いは母の思い、私の思いは私の思い。まったく別物。どちらも正しい』と思い直したのです。
親からの愛情不足の幼少期を送った人間は、無数にいます。しかし、だからといって、いつまでも親から愛情をもらおう、またはもらいたいと考えるのは、生産的とはいえません。子供の時にもらえなかったものは、大人になっても、親からはもらえないものなのです。だから別の方法をとります。自分以外から愛情をもらおうとするのではなく、つらかった自分の子供時代の状況を解剖して全体像を読み解くと、親や親族の現実(当時の周りの状況や心理)が、よく見えてきます。
自分の中の負の感情に向き合うのは、気力も体力も必要です。しかし、何度も感情の嵐に合いながら、自分と家族の感情の相関図を読み解くことで、解釈の幅が広がり、過去には許せなかった記憶とそれらに付随した感情や怒りが消えていきます。そうやって過去を清算したものが、次への進化を望めるようになるのだと思います。
日戸 乃子(ひと のこ)