「命の書」と何田匡史さん
2022年6月24日
語り:説諭士
この度、本サイトのシン・シンダラチャンネルに参加する機会を得て、改めて精神学協会の「命の書」と、何田匡史さんについて思いを馳せることになりました。
古代エジプトでは、死後の世界があると考えていました。
いまの日本でも同様に、死後の世界があると多くの人が感じています。
人の死後、魂を固定化するのは、その人が生きていた時の名前なのです。
現在の日本では、一般的な仏教の葬式で言うと死者には戒名というものが与えられます。
わかりやすく言うと、戒をうけることは、仏との契約を意味し、仏の弟子である、戒名をつけてくれた仏僧への弟子入りを意味する行為です。
つまり、生きている間は修行しなかったので、死後の世界で仏教的な修行をいたしますと言う契約です。
死者の魂が生前からそれを希望しているなら、それで結構ですが、今生きている人間の殆どは、死んで行くべきところを自ら想定する事なしに死んでいきます。
仏教のお経は、祈りではありません。生きている者が考えるべき教えです。
「命の書」のシステムは、名前を登録された魂は「光の中で癒され」次の用意をします。
「命の書」に名前を記すと言うことは、その名前を持つ魂が、これからも進化と成長を続けることの約束だといわれています。
生前、誰よりも深く精神学を学ぶ姿勢をもち、それを実学として多くの活動をしていた何田匡史さん。
彼もまた、早々に「命の書」への登録の貴重性を理解し、自らだけではなく、家族や知人、及び「命の書」への理解が必要であると思われる方々に広く訴えかけておられました。
その彼は、いまシンレイカイというところに居らっしゃるそうです。
まわりの誰よりも早く、「命の書」への登録者として彼方の世界に行かれた彼、その魂は、向こうでどのように癒され、進化と成長をするために磨かれているのだろうと考えます。
その魂は、向こうからこちらをどのようにみて、また、どのような閃きやその声明を私たちに届けてくれるのでしょうか。
私は、できることなら、何田匡史さんの魂とのコンタクト(対話)を、切に願わずにはいられません。