何田匡史がつなげるシンダラ情報

第20回

決別というさようなら!

2022年9月 22日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

 

※今回は、すこし私の内なる闇の話になりますので、現在、精神が不調の方は読まずに飛ばして、また後日、改めて読んでくださいね。

 

世間には、自分を中心に世界が動いていると信じている人が少なからずいます。

自分で自分をほめる自慢話と、人に対してマウントを取ることを生きがいとしており、誠実性は薄く、弱き者には強く、強き者にはだまり、得があると思えば口上手く強者に取り入り、自分を売り込みます。いや、お友達にはしたくないし、どうしても関係しなくてはならないなら、お付き合いは最小限にしたい相手です。

そんなひとりに定められるのが、母方の末子の叔父でした。

私の年齢分だけ、叔父とはお付き合いがあったわけですが、私と妹が小学生の時に母方の祖母が数年間、3日に1日ぐらい子守に来ていたことがあり、その分、母の実家が留守になっていたので、「お前を見るために、母親(おばあちゃん)が子守にいっていたから、中学生だった俺は寂しかったんじゃ!」と、70歳が近くなっても私の顔を見るといわないと気が済まない、精神年齢はまさに中学生ぐらいの叔父でした。過去に中学生の叔父から妬まれていた私は、その頃その母方の祖母にいじめられていたのですが、そんなことはまったく叔父は気が付いていなかったでしょう(ちなみに、実母も「ぜんぜん気がつかなかった」と当然のように言っていました)。正確には、祖母は私ではなく、4歳下の妹を見るために田舎から来てくれていたのです。そういう理由で、叔父は私に会うと過去の自分の幸せを無断でかじったものとして、私に意地悪な言動をすることを繰り返していました。子供にとっての9歳の年齢差は大きく、夏休みになって母方の実家に妹と一緒に預けられるたびに、私はいつもいわれのない理不尽な悔しさを感じていたのです。

その叔父が2022年9月14日にガンで亡くなりました。15日に、大阪に住む母親の妹の叔母から連絡があり、16日にこちらの地元でお葬式があったので、亡くなった母の代わりに出席して、最後を見届けました。疎遠になっていた叔父の40歳代の息子と娘(いとこたち)とも会い、いろいろと情報交換をしたのですが、叔父の行状は私が母親から聞いていたものよりひどいものでした。

結局、いとこたちが小さいときに、叔父は自分の不倫が元の離婚の末に、いとこたちを養護施設に預けて、それを見かねた祖母が引き取って育てていますが、その後も借金を重ね、それも祖母に支払わせて、祖母が亡くなった後は、成人した子供たちにもお金の無心をしていたことがわかりました。そのようなことから、ここ十年近くは子供たちとも絶縁状態になっていたのですが、自分の死期が近くなったこともあり後を頼む者がいないことから、ふたたび叔父からいとこたちに連絡を取ってきたということです。そして、まだ明らかにはなっていないですが、いとこたちの話ではいくらかの借金が残っている可能性もあります。

万事に手堅い私の母親とくらべると、兄弟といえどもまったく異なる生き方を叔父はしてきたようにみえますが、この自分中心の「俺が感」、世界の中心に自分がいるという万能感は、祖母を含めて母方に共通する思考で、それがある意味カルマ(業)的なものになっています。ピラミッド(ヒエラルキー)の頂点に上ろうとする人間の普遍的な欲望といえばいいのでしょうか、他人を支配しようとする意識面が強いのです。要は、人に向けて発する『念』が強い人間として存在することになります。私は、小さいときから、それらの親族たちを見てきて、またその影響を受けて育ってきたのですが、もちろん良い面よりもマイナス面の方が何十倍も大きかったです。私の人生は、この人間が発するマイナス面のエネルギーを浴びることからの出発でした。

話を進めますが、私の中(小宇宙)には、私の年齢分だけの堆積された叔父への鬱積した思いがあります。

叔父の葬儀をきっかけにして、叔父との過去の記憶が次々と表面に浮かんできました。それらはほとんどナルシストの叔父が発する嫌なエネルギーをまとった記憶でした。それと同時に、私の中に怒りが再燃していきます。叔父は何を根拠にして、あれほど傍若無人で傲慢だったのでしょうか。なぜ、自分を大きく見せるという無駄なことに、まわりの肉親や他人を傷つけても、一生涯のエネルギーを費やしたのでしょうか。それは、うすっぺらな自己満足の虚構でしかないのに…。

「叔父が私の夢枕に立ち、自ら懇願するまでは『命の書』には入れない。いや、叔父は命の書に入れるほどの価値があるのだろうか? どうせ、生きていても死んでいても叔父からは感謝もされないのに、なぜ私がそれほどの愛を彼にあたえなければならないのか……」

憤懣やるかたなかったのですが、浄化と上昇をしているとだんだんと「こだわるのは、バカらしいなぁ~」と考え出したのです。叔父は生きている間、その叔父の発するエネルギーと言葉によって、私は子供時代から長年にわたり傷つけられてきました。しかし、叔父が死んでからも生前の叔父の言動や仕打ちにこだわれば(意識をすれば)、叔父のエネルギーは私の小宇宙にとどまり続けます。地獄へ行くしかない叔父を命の書に登録しないのは、いわゆる私の復讐になります。

過去の次元(聖書の時代)にあった『復讐』は、もう必要ありません。それらは卒業すべき感情であり、概念です。

本日、9月22日。叔父を命の書に登録して、代金も送金しました。

これにより、私の中にある、叔父に関しての過去の記憶とエネルギーを決別することができます。

 

日戸 乃子(ひと のこ)