「明けましておめでとうございます。」
2024年1月11日
(1月10日収録)
Mackey:新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
Steve:そして、今回元旦に起きた地震の被害に遭われた方について、心よりお見舞い申し上げます。お亡くなりになった方々に祈りを捧げます。
(黙祷)
Steve:で、新年は忙しく過ごしていたんだって?
Mackey:どこから聞いたの? とりあえず、例年通り年末は大掃除をして、お正月料理を大量に作って、元旦はのんびり……過ごせなかったわ(遠い目)
Steve:最近はどこもスーパーマーケットはやっているんだろう?
Mackey:昔はやっていなかったけど、最近はありがたいことにお正月でも開いているね。そうでなかったら一週間分ぐらい、食料品は買いだめしてたから。
Steve:いいねぇ。そういう日本の文化って、僕らからすると魅力的に見えるんだよね。
Mackey:アメリカだって新年はお祝いするものでしょ?
Steve:そりゃそうなんだけど、日本ほど大きな節目として迎える、って感じがないんだよね。日本だと歳神様を迎えるためにお掃除をしたり、飾りを飾ったりと、正月にちなんだ行事が年末から一月にかけて目白押しだろ? 二週間も様々なセレモニーがあって、ずっとめでたい雰囲気が続く。僕たちからしたらイースターみたいなもんなんだろうね。
Mackey:確かに、松の内までは三が日、仕事始め、七草粥を食べる日、と、いろいろ文化的行事が多いね。お鏡餅を割って食べる鏡開きもあるし。
Steve:あれってどういう謂れなんだい?
Mackey:なんだっけ……。鏡は昔から日本の神道においては大切な象徴なんだよね。確か、太陽神を表すシンボルだった気がする。えーと他に……(調べた)それ以外にも、自らを映すから、自分を糺してまっすぐな気持ちで神さまにお参りするとか、そういう意味があるんだよ。で、鏡には神さまが宿るとも言われていて、その鏡に見立てて、大切な食糧であるお米をお餅に仕立て、歳神様にお供えしたの。だからお鏡餅には歳神様が宿っている。
Steve:それを割って食べるんだね。
Mackey:割ると歳神様が帰っていくんだよ。だから、家にお迎えした神様をお正月の後半に送っていくって行事なんだよね。ちなみに我が家では割られた(というよりシールを開けてお鏡形のケースから出てきた)お餅はお善哉になります。あんこがつぶつぶしているのは豆の皮がぷちぷちしていて苦手だけど、この時ばかりはちゃんと食べるよー。
Steve:あっちこっちに神様の存在を感じる行事だね。日本人は信仰心がないっていうけど、文化レベルで習慣になっているから、心に神様がいることを感じにくいのかもしれないね。
Mackey:かもね。あ、でも……この年末は、あまり年末! って感じがしなかったかな……ただただ新年の準備で忙しくて。なんとなく、神様の息吹が感じられない年末年始、だったんだよね。もしかすると、例年よりも温かい冬だったからかもしれないけど。
Steve:寒いと年末感があるのかい?
Mackey:うん。なんとなく、縮こまるぐらい寒い中、お掃除したり、お参りに行ったり……寒いとどことなく心細かったり寂しかったりするじゃない? そういう気持ちになりにくかったのも原因のひとつかなぁって思っているよ、個人的には。
『いま、生きている人間のほとんどは、死んでいくべきところを自ら想定することなしに死んでいきます。』
『日本の死者のたましいは、行き場も知らず、祈りによっておくられるわけでもない』
今、日本にはこれまでの宗教的世界観とは無縁の、新しい霊界が生まれています。
あらゆる死者は行くべき場所も知らず、また、これまでのどのような祈りや弔いも無効化しているために、どこにも行けず、ただ暗闇の中にいるものがほとんどです。
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