二十世紀の予言最後の審判の始まり その五
光の奇跡のお店
◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
初回 二千二十年六月二十四日 配信
何田:モチベーションも含めて、どちらの方に向いて行動を起こせばいいのでしょうか?
積:単純に、光の商品だけ集めて、「光の奇跡のお店を作ります」といって、闇のネットマーケットの何パーセントかの人を対象に、光の世界に行きませんか! という活動をするのだったら誉めてあげます。
何田:ああ、なるほどです。その考えは頭の片隅にありましたが、メインの部分にはなっていませんでした。なるほどそうですね。確かに積先生のいわれるのが本筋でないと光の経済にはできません。光のそれは志(ここざし)の中心にあります。
積:その、光の志をメインにして表に出して、その中で世間様から叩かれようと何されようと、精神学的なことをしていた方がいいですよ。この世界(地球)は闇ですけれど、こっちの方(精神学)がいいですよ! そうやって主張し続けて、お客様が取れるか取れないかの試しをするのだったら誉めてあげますよ、というお話です。
何田:それは、やります。「精神学の超入門」みたいな資料を作って、小さい子供達や大人にも、やさしい精神学として興味を持ってもらえるようにしたいです。能登はるみさんからも、早く行動をしなさいと、急がされています。
積:何度もいいますが、一般社会は闇の世界なのですよ。そこからスタートしなかったら、足下をみられるだけです。その時、何田さんの人の良さは負の側面しか発揮しません。一般社会はね、闇の世界だから、いい人だからこの人にお金を払ってあげようなんてことはだれも思わないの! いい人にお金を払ってあげようと思う人は、光の特性を持っている人だけなのです。
何田:ああ! そうだったのですか! いくら上品な人でも闇を持っているので、光の製品や光のサービスにお金を払って手に入れようとしないのですね。自分に闇があるから。それはお金を払わないだけでなく、労働も提供しないのでしょうか?
積:はい、そうです。
何田:光の特性を持つ人々ですか。皆さん、自分は光を持っていて、闇の方が多いということを自分自身では自覚している人は少ないのかもしれません。なぜならひとりの時は反省して認めていても、他人から指摘されれば怒り出すからです。積先生、忘れないようにメモしてきました。まず、精神学協会のおふだが欲しいのですが、私のおふだは二枚とも死んでいます。所持しているおふだが新しくなると、精神と身体が元気になり、不思議と運勢がよくなるのは経験済みです。その他の質問として、「苦しむのはなぜですか?」というのがあります。
積:苦しむのはアホなところで悩むからだよ! ははは。お金が無かったらお金がほしいでしょう。お金がほしいからこの世の中のお金で手っ取り早く儲けられる方法を調べれば調べるほど、お金儲けには繋がらないネットワークビジネスの情報しか出てこないのです。なぜ自力で(光の事業、光の労働、光のネットワーク構築)で稼ごうと思わないのですか?
何田:そうですね。積先生のおっしゃるとおりです。重ねての質問として、真剣に天に祈ることと、人を呪うことは、根は同じですか? というのがあります。つまり人を妬んだり、羨んだり、呪ったり、することにたけている人は、祈ることにもたけていますか?
積:その何田さんの質問が一般の拝み屋さん(ちまたの霊能力者)のことだったら、当たり(そのとおり)です。一般の拝み屋さんは、お祈りして問題を解決してあげます、使う力は、ほとんど闇の力だからです。
何田:そうだったのですか。祈りというのは、つまり闇の人は祈れないのですか?
積:闇の人は、祈る方向が違います。悪魔に、祈っているといってもいいでしょう。たましいを売っても、どうぞ私にお金を稼がせてください、と祈るでしょう。
何田:そのお金を稼がせてくださいと、祈っている人は、実は悪魔に祈っていると自分では思っていないのではありませんか?
積:思っていないですよ。
何田:その辺は見極めが難しいです。たぶん人は神様や仏様は助ける存在と考え違いをしているので、神社やお寺で自分の生活の保障や夢の実現を神様や仏様に祈るのです。でも繋がる先は悪魔だということで、前にもお聞きしましたが、その結果として人は、悪魔の手先になって人生をいきているのですね。では、積先生、人間は苦しまなければ、精神エネルギーを最大限に活用できませんか?
積:うん、できません。
何田:できませんですか! 普通日常でニコニコして日々を暮らそうとしている人達や、セレブや裕福な人達、毎日楽しく暮らそうとワイワイやっている人達は、精神エネルギーを活用できないのですか。
積:試練がなかったら、闇のエネルギーをどうやって処理するのかということを、身体が覚えないからです。
何田:では、人はずっと苦しみ続けなければいけないではありませんか?!
積:人間として生まれるということは、苦しみをマスターするということだよ。
何田:精神学協会に入ったら、苦しみから脱出できると思っていました。
積:苦しみから脱出しているでしょう。ほとんどの方は。まだ、学びの途中で苦しい人もいるでしょうが……。
何田:でも皆さん、さらに闇のエネルギーを受けて苦しみが増していませんか?
積:そのぶん丈夫になっているから、それでいいのです。
何田:えー!?
積:小学生の苦しみと、中学生の苦しみと、高校生の苦しみは違うのです。二十歳の苦しみと、四十歳の苦しみと、七十歳の苦しみは違うのです。
何田:喜びというのは、生きている人生の中でどこにありますか? 十個苦しみがあっても、零点一個の喜びがあれば耐えられると思うのです。
積:零点一個どころではありません。十個の苦しみがあったら、十個の喜びがあるのです。だって苦しみを一個克服するだけで、喜びに変わるのですから。苦しみを多く経験した人ほど、喜びも多いのです。正しい神は、どんな人に対しても平等であるからです。