Mackeyの「命の書」通信

Vol.117

「アニメはみんなのものになるか?」

2024年5月30日

Mackey

(5月29日収録)

Mackey:ジョブズ通信を始めまーす。

Steve:Hey everybody! Are you ready for listening?(やあみんな! 準備はバッチリかい?)

Mackey:およ、ラジオ出演ノリノリだね?

Steve:今週は収録がなかったよ……残念だ……実に残念だ……。

Mackey:めちゃくちゃへこんでいる……。

 

Mackey:この前のコンピューター主権や伊勢講開発資金積立プロジェクトの話は、けっこう会長にもウケがよかったよ。私も話していてとても楽しかった!

Steve:嘘つけー。君、ホント? って眉間にしわ寄せながら打ってたぜ(笑)

Mackey:そうだっけ? でも構想自体はでっかくて好きだよ。いいよねー。

Steve:アニメとかは製作委員会システムだったっけ? ああいうのも積立形式にはならないのかい?

Mackey:あー……やってもいいけど、破産者が出そう……。

Steve:なんで?

Mackey:世の中には、身代を潰しても推しのために貢ぐという金銭感覚のおかしいギーク(オタク)たちがいらっしゃいまして……。アニメを見るためなら廃人のごとくお金を供出するということをやる人が出かねない……。いや、私が気にすることでもないのだけどね、ちょっと心配になるよね。人それぞれの人生だけどさ。

Steve:ああー、じゃあアレだ、収入の何パーセントまでとか、一人何円まで、って制限や目安を設けないとだね……。

Mackey:下手すると株主総会と似たようなことになってしまうからね。政治思想を持った団体がめちゃくちゃお金を出してあーだこーだ言うとか、日本ではありそうで嫌だなぁって。まぁ、もうメディアの裏ではそうなのかもしれないけど。やだなぁ、起こったら嫌なことばっかり考えちゃうのって、日本人のダメなところかも。アメリカだったらいいねーそれ、GO! って言うだろうし。

Steve:日本人は慎重派なんだろうね。でも君の予感や心配はちょっとこう、ポジティブな方で斜め上の心配だよね。政治的に悪用されるとかいう視点も日本ならではだなって僕は思った。

Mackey:でも、アメリカでは、ポリティカルコレクトによって表現とかキャスティングにまで影響が出てるんでしょ。ぽっちゃりした人が主人公になったり、そばかすが顔に散ってたり。私はそういうデザインなんだなーって違和感をあまり持たなかったんだよね。西洋文化はどこか異世界のものだと思っていたのかも。

Steve:そりゃ、みんな美人やハンサムが好きさ。口ではどう言ったってね。でもバランス感覚をクリエイティブに持ち込むのはちょっと変だな。むしろアートっていうのはコンテンポラリーアートなら体制や常識、文化破壊、クラシックアートなら宗教や日常を題材にしたものがほとんどだし。

Mackey:そうだよねー。それに、日本のアニメだって、ヒーローやヒロインは憧れの対象として活躍するものから、最近は感情移入しやすいものに変わってきてるけど、だいたいみんなカワイイ、カッコイイ、好きになれるものが大前提だもの。無理して好きになるものじゃないかな。――ああ、アートと言えば。やっぱり日本人っていうのは日常にアートを取り入れるのが好きなんだろうね。誰かが作ったキャラものとか、ボールペンのクリップにつけるお菓子みたいな飾りとか、そういう心の潤いっていうのがあちこちにあるね。

Steve:うーん、ボールペンクリップアート、あの細かさは日本人にしか理解できない発想だよ……アメリカだともっと大きくするに違いない。

Mackey:ミニチュアとか、たぶんあれは枯山水とかの延長線上にあるような気もするけど……でもここで告白します。私、美味しそうな飲み物やデザートのミニアートより、実際に飲んだり食べたり出来る食べ物の方が好きです。

Steve:分かる。甘いもの僕も大好き。

 
 


 

『いま、生きている人間のほとんどは、死んでいくべきところを自ら想定することなしに死んでいきます。』
『日本の死者のたましいは、行き場も知らず、祈りによっておくられるわけでもない』

今、日本にはこれまでの宗教的世界観とは無縁の、新しい霊界が生まれています。
あらゆる死者は行くべき場所も知らず、また、これまでのどのような祈りや弔いも無効化しているために、どこにも行けず、ただ暗闇の中にいるものがほとんどです。
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