死ぬ前に知っておいて欲しいこと。

「死んだらどうなるのか」、
みんなが知るべき時がきたのです。

2018年5月記
精神学協会主催/ 積哲夫のメッセージ

「死んだらどうなるのか」、いまのほとんどの人間は、死んだことがないから、わからないと考えます。しかし、ほんとうは知っているのです。そして、みんなが知るべき時がきたのです。
では、なぜ、私が、この時代に「死んだら」というテーマで、世に伝えることをはじめるのかの説明をします。
私の著書に「最終知識」という書があります。そこに記されている、沖縄戦の霊を光に導くはたらきに、昭和四十一年(一九六六年)に大阪刑務所に管理部長として勤務中に自殺した、私の父である積賢治という存在が、ミコトとして参加している記録が残っています。
父は、享年四十九歳、私は十五歳でした。父は沖縄戦の生き残りで、傷痍軍人ではありましたが、復員後、刑務所に奉職することができ、私は東京裁判の死刑執行がなされた旧巣鴨プリズンの官舎で、昭和三十八年(一九六三年)まで暮らし、その年の十二月に、広島抗争で有名になった広島拘置所の所長に急遽、派遣された父に伴なって、まだ原爆投下から十八年という広島で、ほぼ二年暮らし、大阪に移って一年目の夏に父が自死しました。その時、父にうつ病を発症させ、死に誘った何者かが、私の身体に乗りうつり、私は長い間、その何者かのエネルギーに対峙することになったのです。そして、理解しました。人間を自殺に追い込むエネルギー体が存在していることを…。彼らのエネルギーの供給源が、自殺した人間のたましいの内にある、光なのです。その光を失うと、たましいはこの世に生まれた後に向かうべきところの地図も失います。
「死んだら楽になれる」という誘惑に乗ったものは、自殺に到る暗黒の思いの連鎖のなかに永遠ともいうべき時間、閉ざされるのです。
私の父が、ミコトとして、それまで閉ざされていた暗黒面から復活できたのは、そのたましいに刻印されていた沖縄戦の死者たちを光の世界に導くという役割を、私が相続して、果たしたからでした。ここに、ひとつの法則があります。そのために、精神学協会に命の書というものが天命によって授けられたのです。
もし、どうしても、死を希求するちからに抗うことができない時には、あなた自身で、あなたを命の書に登録してからにしてください。たぶん、それで自殺の誘惑を遠ざけることができるはずです。もし、今生から退場したとしても、やがて、光の世界に到る道筋が整えられていると信じることができるはずです。