第25回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2018年12月12日(水)

(通算第94回)
お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20181208収録)

何田:「積先生、『マツリヌシ』という資格は、亡くなった人の霊を天に上げたり、お葬式を出したり、遺骨を散骨して葬ったり、あと土地の浄化やお祓いができる、資格です。
また、各地で『マツリヌシ』の方々は散骨事業を近々スタートされるということです。
私も参加させていただきたいです。
そこで質問です。
私も『マツリヌシ』資格者なので、亡くなった方のお葬式や散骨、霊を上げることなどさせていただきたいと思っていますが、亡くなった人の霊を天に上げる儀式は『マツリヌシ』の人に『まごころ』が無ければ霊は上がらないと考えるのですがいかがでしょうか?」

積先生:「そうです。何田さん、中途半端な人間が『マツリヌシ』として中途半端に霊を上げると『祟られる(たたられる)』のですよ。」

何田:「ああ、そうですか!霊が上がらなかっただけでなく、祟られるというリスクがあるのですか、なるほど。
だから『マツリヌシ』は真剣に行わなければならないと・・・いうことでしょうか。」

積先生:「そうです。単なるお金儲けでやっては霊は上げられないし、祟られるしいいことはありません。私は常々、『マツリヌシ』は生半可な気持ちや心構えでやっては危ないと警告しています。
危険だからこそ真剣に誠実に『マツリヌシ』を行えば、天はサポートしてくれて、しっかりと霊も土地も浄化できます。だから『マツリヌシ』は誰でも現場へ行けばできる、と言っています。」

積先生:「これまでの日本で、死者を送ってきたのはお坊さんですが、お坊さんでは霊は上がりません。では、なぜ、お坊さんは祟られなくて大丈夫かというと、お坊さんは強いので霊が寄って来ないのです。」

何田:「お坊さんが霊に強いってどういうことでしょうか?」

積先生:「はっきりいうと、やさしくないの。霊に対してね。お坊さんは優しくないのです。」

何田:「常日頃から慈悲が大切と口々に言っているお坊さんに慈悲や愛が無いのでしょうか?」

積先生:「いや、お坊さんにも慈悲や愛もあるでしょう。ただお坊さんの修行をやっているうちに『別に幽霊なんか怖くない』となってくるのです。死者に戒名をつけるということは、そのお坊さんの弟子になるということです。
だからお坊さんはお墓の真ん中のお寺にひとりで暮らしていても大丈夫なんだけれど、それは人間霊の側からすると、『あいつ(お坊さん)に取り憑いても全然メリットがないから取り憑かないよ。』というお話しです。
優しい人しか霊を上げることはできない、のです。」

何田:「霊からしたら見えるのでしょうか?人間の性格というか心や精神が見えるのでしょうか?」

積先生:「霊からは人の中身がわかるのです。人の『波動』が違うからです。」

何田:「あの積先生、人が亡くなった時にその人に信仰があれば、正しい神様筋からお迎えや導きが来ますでしょうか?」

積先生:「正しい信仰があれば、です。亡くなった人がその宗派の信仰をキチンと持っていてしっかり、意を乗せた行動してきたのか?、単なる儀式としてお努めしてきただけなのか?で分かれます。」

何田:「たとえば、仏教で阿弥陀如来や観世音菩薩など、実在しないかもしれない仏は人が死んでも導きとしてお迎えに出て来ないのでは?」

積先生:「いや、出てくるかもしれないです。阿弥陀如来や観世音菩薩が来てくれるかもしれません。ただしそれが本物かどうかはわかりません。」

何田:「ああなるほど、何ものかがお迎えに来るかもしれませんがそれが本物の阿弥陀如来や観世音菩薩だとは限らない、ということですね。」

積先生:「過去のお話しで、お迎えがあったというのは多いですね。それはそれで仏界に亡くなった人が引き上げられて、良かったのではないでしょうか。死んだご当人は望んだ世界に行くことができるのから、それで良かったのです。
ただ、もうすぐ仏界は消滅しますけれど。
しかし、いま、亡くなっている人はそこまでの『信仰』はありますか?
そこまで信仰がなかったらお迎えも導きもありません。」

何田:「今の世の中、昔と違って真面目に真剣に、死後の世界と目に見えない神や仏や天に祈りをささげている人はとても少なくなっています。
信仰のある人は都会では極端に少ないと思います。地方では神社やお寺など年間行事や役がありますので、生活の中に神や仏が入ってきますので、小さい頃から信仰の厚い人は多いと考えられます。
そういった人はお迎えが来ますでしょう?」

積先生:「信仰のある人に、お迎えはくるといってあげたいのですが、わかりません。
ただ、たとえば自分の親兄弟の死に様を見ていて、自分が死ぬと『あっそっちの方に死んだら行くのか』という経験をして、そして自分が死んだ時にお迎えが来てくれたら、その人はとても幸せだと思います。」

何田:「ああ、なるほど、そうですか!つまり自分が信仰が厚くお迎えを望んでいたとしても、神様や仏様、天の使いが必ずやって来るとは限らない。
自分が望んでいても相手次第ということですね。お迎えが来られた人は幸せで良かったですね、となります。その人は救われたことになります。
しかし霊として待っていてもお迎えが来ない人や霊はいつまでも天に引き上げられないから、救われることがない状態のままでいることがずーっと続くことになります。」

積先生:「あれだけ生きている間にいろいろやってきたのにお迎えがきてくれない、なんてことが現在はほとんどです。だから霊界と重なっている現界に、行き場のない霊がたくさんおられます。また、その一個体の霊のエネルギーが消滅するのに何百年もかかります。」

何田:「積先生は、人間の身体は審判の容器で、神様や悪魔や霊のエネルギーを光と闇に別けることができる、といわれています。
では、亡くなって行き場のない人の霊はどこへ行きますか?お坊さんには助けてもらえないとしたら、どこへ行ったらいいでしょうか?」

積先生:「ですから、行き場のわからない霊はほとんど人間に取り憑いています。
取り憑かれている人は自覚がありません。
ひとりの人の身体に何人もの霊が入って多重霊構造になってしまっています。
そのため、自分でも解らない、理解できない行動をして、問題を起こしているのです。」

次回をお楽しみに!