第93回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2020年4月1日(水)

(通算第162回)
お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20200209収録)

積先生:「救世主になりたい人を集めたらいいのです。自分は救世主になりたい人、超能力者になりたい人も同じです。
『あなたがあなたの小宇宙の救世主にならない限り、あなたのたましいは輝きません。』
『あなたがあなたの小宇宙の救世主にならない限り、やりたいこともできません。』
このことを人に伝えるのが“精神学”なのです。」

能登さん:「何田さんも夢で何か言われたんでしょ。」

何田:「そうです。夢で“白い童子”が出てきて『超能力者を集めなさい』と言われました。集まって来るみたいですけれど・・・。」

積先生:「超能力者は集まってきます。うちの会 (精神学協会)におられる人は、できは悪いけれど“超能力者”なのです。」

能登さん:「そうですよね。ほら、ほら私がそう言っているでしょ、何田さん。」

積先生:「できが悪いから自分の超能力に気が付かないのです。私が横から見ていて“馬鹿だな”と思うのは能力があるのに“なぜ”能力を発揮できないんだろう?って、いつも思います。」

能登さん:「『どうせ私はできない』って自分で思い込んでいるのではないでしょうか?」

積先生:「そうですね。その可能性が高いですね。」

何田:「“責任を負いたくない”“非難されたくない”“失敗したくない”ということが原因でしょうか?」

積先生:「それは入り口なのです。要するに“精神学は宗教ですよね?”という一言で引く人間は“自分は責任を負いたくない”という人です。だって“神”の責任は誰も取れないと思うでしょ。
その時に私がいつもお伝えすることは『必要なのは“信仰心”』なのです、ということです。
信仰心がなければこのお仕事はできません。
それはどういう信仰心か?って、いったらね。
『神様、神様、もし私でよかったら、どうぞ使ってください。』
『もし私でよかったら・・・。』
という祈りです。

これが『私に能力がありますから使ってください。』といえばそれは変な教祖になります。」

何田:「私に能力があると思っているとダメだと・・・。」

積先生:「その人は大やけどします。
例えば何かを始める時に、ここから先は自分に責任が取れません、といった時に、『神様が私を使っているんですよね』って“信じ切れるかどうか”だけなのです。
それを『信仰』といいます。

そこで“自分に自信がない”ということは“神も信じていない”ということです。」

能登さん:「“自分を信じていない”ということは、“神様を信じていない”と等しいことですね。
だって積先生は私に“神様がすべてを用意していてくださる”と言われましたもの。」

何田:「その、人は神様と繋がっているという自覚はあるのでしょうか?」

積先生:「自覚はね何田さん、現場でいっぱいいじめられて、それでも信仰心を捨てなかった時に結果が出て、はじめて、『ああ正しかったんだ』って自覚するのです。
やってもいないのに神様と繋がっている自覚なんて生まれません。」

能登さん:「神様を信じている信仰心の強い人の方が奇跡とかに出会う確率は高くなると思います。いかがでしょうか?」

積先生:「例えば“あるキリスト教の団体”の人達のやり方は信仰心をためすにはよいのです。『(毎日毎日)こんにちは、何とかです。』といって家を訪問して、ずっと門前払いが続くわけです。“それでもあなたは信仰を持ち続けることができますか?”ということが問われているのです。
その宗教団体の人達は人間集団でしょ。皆さん仲間うちが家族みたいなものです。
『今日も成果がなかったけれど、それでもあなたは日々成長していますね。』とみんながなぐさめてくれるのです。
だから教団という小宇宙から、出られなくなる、のです。

本当の信仰というものは、不思議なもので、はじめから試練があります。
『どうぞ神様、わたしでよければ使ってください。』と祈って、『これがきっと神様に与えられた、わたしの使命なのだ』と感じて一般社会に働きかけた時に、必ず一般社会から“強烈な拒絶”と“威嚇(いかく)”を受けるのです。

『そこで“くじけたら”終わります。』
『くじけずに“続けている間に変わるの”です。』
『何かが変わって、結果がでます。』

それをわかりやすく証明しているのが私です。」

能登さん:「その貴重なお話しをここで聞けるということが奇跡ですね。」

積先生:「とりあえず会員さん(精神学協会)は私を見ていたら、神様を信じる気になるのです。
“いいな”“自分も(積先生みたいに)ああなれたらいいな”って思って。
私は『あなたも“なれる”』って、何度も伝えています。
そこが精神学は宗教でない証拠です。精神学は“学”だから“まなび”です。

『“ちゃんと学べば、私にちかづけます。(積先生みたいになれる)”
“私が到達したところまでは、だれでも到達できます。”
それが“学(がく)”なのです。』

ご理解いただけましたか?」

次回をお楽しみに!