神を超えよ!仏を超えよ!

第83回

たましいの行く先 その二
お迎え現象

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年九月十二日 配信

:自分が死んだ時に、その人の身内や、ご先祖様が迎えにきてくれると、本気で信じて生きてきた人には自分が死んだ時に、亡くなった身内やご先祖様のイメージが出てくることになるでしょう。それはなくなる直前、臨死の状態になった時の脳が、たぶん死の恐怖から遠ざかるためにはたらき、そうした現象が出てくるのだと考えられます。よくいわれるのは、お花畑や、三途の川を見たという報告ですね。それは、その人の頭の中の脳のデータが現象化しているように、本人には感じられるはずです。

たとえば、身内が迎えにきてくれるというのは、ご先祖様を敬っている人の、頭の中の情報です。そうではない、ご先祖様や神様を信じていない人にとって、だれが迎えにきてくれるの?  神様が迎えにきてくれるの? 天使様が迎えにきてくれるの? と問えば、おのずと答えはわかるでしょう。生前、生きている間に神様やご先祖様を信じて行動もしていなかった人の脳のデータにはないのに、死の前後にお迎えの現象は起こりません。先に死んでいった、やさしかったおばあちゃんが迎えにきてくれた、それってご先祖様と近しい関係にいたからです。

解りやすくいうと、その人の頭の中の「小宇宙」の中に、やさしかった死んだおばあちゃんが住んでいたのです。現在、人の頭の中には、神様もご先祖様も住んでいません。じゃあ、何者が人の頭の中に住んでいるのでしょうか?  ひとりひとりの頭の中の小宇宙に何者が住んでいるのですか?  あなたは自分の頭の中の小宇宙に何者を住まわせているの?

「正しいイメージ」が、とても重要です。人の死んだ先の現象は、その人の頭の中の小宇宙のイメージしか、現象で出てこないのです。これが、物質宇宙の絶対の法則なのです。いま生きている日本人の多くは、その頭の中に魔物を棲みつかせています。だから、正しい知識と正しいイメージが、重要なのです。

何田:積先生。それは、生きている間も、死んだ後も、自分の意識はずっと繋がっていて続いていくということでしょうか?

:そうとしか、考えられないでしょう。幽霊が出てくるという例を考えても、幽霊って目撃される姿は、死んだ時の格好か、自分が格好よかったり綺麗だった時の姿で出てくるでしょう。戦場で亡くなった方の幽霊は、ほとんど軍服の姿だったりします。

何田:軍服で出てこられた幽霊は生きている人と接触して、新しい知識を取り込むと意識のデータが変わって、姿も変わるのでしょうか?

:それは、光を宿した霊のお話です。光を宿さない霊は、そのままです。

何田:光を宿さない霊というのは、無間地獄行きでしょうか?

:無間地獄よりも、もっと可哀想な状態もあるでしょう。たとえば交通事故で亡くなって、死んだ後その場所に幽霊としてずっと居るものもいますよね。私があまり質問されたら答えたくなかった内容のひとつが、たとえば、もしかすると洪水で亡くなった人の霊は幽霊となって事故現場に地縛霊となって、その場所にずっとおられる可能性がある、ということです。

何田:あっ、なるほど。交通事故とか災害事故、病気により病院で亡くなった人、自殺した人、よく幽霊が目撃されるのは地縛霊となられて、その場所にずっとおられるということですね。自分のエネルギーが消滅するまで。

:自分が死んだと、気が付いていないのです。ご当人は。

何田:地縛霊になっておられる幽霊は、光を宿さない霊だからでしょうか?

:いいえ、光の問題ではありません。時代の問題です。光を宿している霊も、お役目としてその場所に残されることがあります。神様が起こされる災害、大震災、洪水、台風等で亡くなられた人の霊は、やがてお役目として天に上げられるでしょう。現在の人は、戦争でなくなった人を可哀想と悼みの感情でみていますが、もうすぐあの戦争でなくなった人の方が幸せだったかもしれない、と思うようになるでしょう。残された人、生き残った人、その子孫の責任と、やるべきことは非常に重いのです。

何田:積先生。たましいに光がある、光がない、というときの「光」というのは何でしょうか?  たましいに光がある人は他人のために、他人を優先に祈れる、ということでしょうか?

:人間を差別したくないのですが、人間は生まれた時点でその人に宿るたましいの中に、光の量が多い人と光の量が少ない人が存在するのです。

何田:えっ! 生まれた時から、光の量に多いことや少ないことがあるのですか?  たましいの中に?  でも積先生、以前にたましいは生まれた時に、たましいには光五十パーセント、闇五十パーセントと、半分々で人間として生まれてくるといっておられました。

:光の量の問題と、光の強さ、または質の問題は、別です。人間、ひとりひとりにとって、たましいの光と闇は光五十パーセント、闇五十パーセントで生まれてきます。しかし、他の人同士を比べると、Aさんは生まれた時からたましいの光の質が高い、BさんはAさんに比べてもっと高い、Cさんは一般的か低いという 、光の質の問題ですね。

人間は、それぞれたましいを持っていて、たましいは生まれた時は光五十パーセント、闇五十パーセントです。たましいは磨けば光ります。たましいは、磨かなければ、闇ばかりが増えていきます。ひとりひとりが自分のたましいを磨いて、光百パーセントにして死んでいくことが、人生の最終目的なのです。

それは、ひとりひとり、おのおの、個人個人でしかできません。それは生きて人間の身体を持って、頭で考えて、正しい知識を知り、理解することで、すぐにできることです。それが生きている間に、「精神学」を学ぶということです。