死んだら人はどうなるのだろう?

このトピックには2件のコメントが含まれ、2人の参加者がいます。6 ヶ月、 1 週前 セイイチ さんが最後の更新を行いました。

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    それはある意味、人類共通のテーマです。しかし、死んだ後のことは生きている人にはわからないことばかりのようです。
    例えば、家族や身内が亡くなったときに強く思ったり、闇多く巣くう地場での体験をしたときに強く感じたり、また夢や無意識のなかで故人や何等かのコンタクトを受けたときに強く意識するなど…。
    挙って皆様の経験をここに記(投稿)してください。そしてご意見も忌憚なくお寄せください。

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    セイイチ

    光への送り(母の物語宇宙の書き換え)

    令和元年10月5日、享年92歳で、母は永眠しました。

    9月11日、AM10:21急に自宅で倒れ、心肺停止後、蘇生し救急搬送されましたが

    意識は戻らず、25日目、病院にて、母の物語宇宙は幕を閉じました。

     

    この25日間、ふり返ると不思議なことが多々ありました。

    10月07日告別式当日マツリヌシとして、準備も終り、当日葬儀社の車が、母を迎えに自宅に到着、時間を見るとAM10:30を指していました。

    この時、25日間のスパイラル時間運行が、9月11日にさかのぼり、母が倒れた時間にパラレルワールド的に時空間の書き換えをして,元の運命の時間の位置に戻り、『光への送り』の日を迎えたような気がしました。

    そして、下記のような大切な時間を母より頂きました。

     

    1. マリツヌシを、姉との二人でやり遂げる準備時間であったこと。

    2. 家族葬ですが、いとこ中心に約20人の少数参列していただく会場の選定と準備をする時間であったこと。
      :精神学協会のマツリヌシとして告知し、喪主で在りながら、姉と共に、進行 いとこ達に、共感を得られたこと。
    3. 姉と、母のプロフィ-ルを話し合っている内に母親のやさしさを再度発見できたこと。
      :母は、昭和2年、東京・浅草に生まれ、高等女学校に通い18歳頃まで、浅草で育ちました。
      東京大空襲で焼きだされたのをきっかけに姉を頼り船橋に移り住み、その後、熊本生まれの父と結婚し、私たちを貧しいながらも愛情豊かに育ててくれました。母が65歳の時に父を看取り、晩年を私達と共に過ごしました。
      母は、普段よりこよなく人と人との争いを好まず、いつも中立の立場でいきてきました。74年前の戦争と3月10日の東京大空襲を生まれ育った浅草で、18歳の若き女性の身で経験したことが母の根幹にあります。生死を分けて逃げ惑う最中、実の母親と生き別れ、死の確認もできないままの心を胸に秘めて生きた強い精神力が、女性として、母として、人と接する時の母のやさしさ・愛の源だったと、私達は感じております。
      あまり自分を出さず、他者との比較もせず、笑顔で人の話の聞き役が多い母でしたが、生きる大切さや助け合わなくては生きていけない人と人との関係性を戦争を通して知っていた母の生き方だったと思っております。
    4. 母の生まれ育った浅草を、タクシ-ドライバ-として、母を2回ほど浅草を案内できたこと。
      :不思議な体験ですが現在東京で観光タクシ-を兼ね、ドライバ-の仕事をしていますが、母の様態が入院中、何度か安定、不安定を繰り返していました。
      母が安定した9/17日平常出勤のことですが、出庫してすぐ手が上がり、お客様に行き先を聞くと、東浅草までとのこと。
      なんと、母の生まれ育った小学校の近くでした。
      その後、御徒町付近で手が上がり、浅草寺裏の花やしき付近の木馬亭楽屋裏まででした。めったに、こない場所です。このころ、母が後ろで楽しんでいる様子でした。空車になり、「おふくろ、今度どこ行きたいの?」と話しかけた次第です。 また9/22日もまた呼ばれました。上野寛永寺裏手より、浅草地方橋(じかた 橋)交差点付近です。再度小学校の近くでした。
      午後には、タクシ-無線がなり、4台口で三社祭りで、有名な浅草神社境内、結婚式場待機。普段は、東京23区で営業していますが、この2日間は、浅草集中でした。
      :姉の話ですと、倒れる前日、夕食ができるまで,居間のソファで横になっていた母が寝言を言ったので『どうしたの』と聞くと、すごく嬉しそうな顔をして『成一が連れて行ってくれるんだって』と言ったそうです。
    5. コンセク・アイテム(聖塩、聖水、オイル)イコンシールの効能を再認識できたこと。
      :救急車を待つ間、母は、心肺停止したように思えましたが藁にもすがるようにライトオイルを胸に塗ってみました。
      普通の救急車とドクターカーが着き蘇生マッサージを受け、もうだめかと思った時、奇跡的に脈が戻り急いで搬送されました。
      :集中治療室に入り、医師も今夜が峠という状態の時に唇が渇くのでお水で唇を拭いても良いと看護師が伝えてきたのでSEKIの水で口を何度かぬぐっていたところ、意識は無いものの状態が回復し次の日は、個室に移れるようになりました。
      :病室にコンセク水にSEKI塩を混ぜスプレイをしました、その時は、場が明るくクリアーになりました。
      :栄養剤の針でこぶのように紫色にむくみ、腫れていた手首が、SEKI水で拭き、コンセク・オイルの塗布で1週間ほどで取れました。
      :最後の1週間は、1度爪が紫色に変色してびっくりしましたが、SEKI水で手の甲を拭き、オイルも塗布したところ次の日には普通の爪に戻りました。
      :呼吸器、栄養剤にイコンシールを貼りました。
      自力では、呼吸できなくなっていた母でしたが、医師が私達を納得させるように呼吸器を外して見せた時に微弱ながら自力呼吸をしていて医師を驚かせました。

     

    母は、コンセク・アイテム、イコンシールに助けられながら、最後まで、奇跡的な頑張りを見せてくれました。ギャラリー・オープニングの時に、母の為に積氏に選んでもらい購入した写真があります。額装が出来上がり、その写真を見せた時、不思議ことに両瞼がかすか動きました。写真を待っていたかの様に確認し、その3時間後に旅立ちました。

    最後に、初七日の夜、父が大事にしていた月下美人の花が1輪咲き終えたことが、印象的でした。

  • #243 コメント

    mezzamine

    父は2017年12月に約2年の入院生活の末、他臓器不全で亡くなりました。

    享年85歳でした。

     

    今から思えば父の意識は、入院生活をしている時からふと私の元を訪れ、離れて暮らす娘の様子を伺いにきていたのですが、葬儀前日に霊安室で寝る私の意識に出入りして、人の意識に乗ればあちこちへいけることを知って楽しんでいるようでした。

     

    すぐにそれと分かるのは、胸が重苦しくなり、父の様々な思いが伝わってくるのと、薬が気持ち悪く、それを体が排出しようとしていた事、病院で手足を拘束されて怒っていたこと、そういう状態が私の体にうつるからです。亡くなってから散骨するまでのこの半年の間にも、私にグレープフルーツが食べたいと伝えてきたり、私が疑問に感じたことに対して答えてくれたりと、近くに存在を感じる事がありました。

     

    頑丈な体をしていた父のお骨の半分以上は火葬場で処分されたために、骨壺に入るわずかな遺骨を半年ほど自宅で見守り、母の「そろそろ」の合図で散骨の準備を始めました。

     

    父は生前、お墓には入りたくないと同年代の方達の間ではめずらしく散骨を希望していました。私たち家族は父の希望通り、遺骨の一部は手間暇かけて作っていた菜園の近くに、

    残りを海に散骨する方向で確認しあっていました。

     

    2018年7月16日。

    骨壺に入っている遺骨を細かく砕き、その一部を持って、菜園近くに出かけ、マツリ主を務める主人の下、散骨をしました。お爺ちゃんに別れの挨拶をする幼い孫に「ほら、かずま、ここにおるがな」と存在を知らせようとする父は私の胸の内にいました。

     

    2018年7月17日。

    残りの遺骨を持って、和歌浦港から船に乗り片道1時間半程かけて太平洋まで運び、海に帰しました。神霊士として太平洋上で送りの儀を行って下さった和歌山の高田さんには、5年前にも義父の散骨でお世話になりました。

     

    船は高田さんのご友人で、高倉健さんの映画で散骨のシーンを見て、自分も協力したいと申し出て下さった方です。5年前の義父の散骨にも立ち会い、その時の光景を今も覚えていらっしゃいました。遺骨が太陽の光に乱反射して、海中に渦を巻きながら吸い込まれていく様子に感動されたそうで、今回も船を走らせて下さいました。

     

    船上で送りの儀を終えた時に、父の気配は感じられなくなりました。父が元気なうちに、命の書に登録をしてありましたので、本人の納得した時がこの世から去る時なのだろうと思います。

     

    みなさんにご協力頂きましたおかげで、父の希望を叶えられた事が、家族にとって心おきなく前を向いて生きるための一つの区切りになりました。今となっては、海を見る度に、自然に帰った父を思い出すことこそが一番の供養なのだと感じています。

     

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