第12回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2018年09月12日(水)

お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20180715収録)

積先生:「自分が死んだ時にね、その人の身内や、ご先祖様が迎えに来てくれるって、本気で信じて生きてきた人には、自分が死んだ時に亡くなった身内やご先祖様のイメージが出てくることになるでしょう。
それはなくなる直前、臨死の状態になった時の脳が、たぶん死の恐怖から遠ざけるためにはたらき、そうした現象が出てくるのだと考えられます。
よくいわれるのは、お花畑や、三途の川を見たという報告ですね。
それは、その人その人の頭の中の脳のデータが現象化しているように、本人には感じられるはずです。
例えば、身内が迎えにきてくれるというのは、ご先祖様を敬っている頭の中の情報なのです。
そうではない、ご先祖様や神様を信じていない人にとって、だれが迎えに来てくれるの?
神様が迎えに来てくれるの?天使様が迎えに来てくれるの?と問えば、おのずと答えはわかるでしょう。
生前、生きている間に神様やご先祖様を信じて行動もしていなかった人の脳のデータにないのに、死の前後にお迎えの現象は起こりません。
先に死んでいったやさしかったおばあちゃんが迎えに来てくれた、それってご先祖様と近しい関係にいたからです。
解りやすくいうとね、その人の頭の中の『小宇宙』の中に、やさしかった死んだおばあちゃんが住んでいたの、です。
現在人の頭の中には神様もご先祖様も住んでいない、じゃあ何者が人の頭の中に住んでいるのでしょうか?
ひとりひとりの頭の中の小宇宙に何者が住んでいるの?
あなたは自分の頭の中の小宇宙に何者を住まわせているの?
『正しいイメージ』がとても重要です。

人の死んだ先の現象は、その人の頭の中の小宇宙のイメージしか、現象で出てこない、のです。
これが、物質宇宙の絶対の法則なのです。
いま生きている日本人の多くは、その頭の中に魔物を棲みつかせています。
だから『正しい知識と正しいイメージ』が重要なのです。

何田:「積先生ひょっとして、生きている間も、死んだ後も、自分の『意識』はずっ~と繋がっていて続いていく、ということでしょうか?」

積先生:「そうとしか考えられないでしょう。幽霊が出てくるという例を考えても。
幽霊って目撃される姿は、死んだ時の格好か、自分がカッコ良かったり綺麗だった時の姿で出てくるでしょう。
戦場で亡くなった方の幽霊はほとんど軍服の姿であったりします。」

何田:「軍服で出てこられた幽霊は生きている人と接触して、新しい知識を取り込むと意識のデータが変わって、姿も変わるのでしょうか?」

積先生:「それは“光を宿した霊”のお話し、です。
“光を宿さない霊”はそのまま、です。

何田:「“光を宿さない霊”というのは、“無間地獄”行きでしょうか?」

積先生:「無間地獄よりも、もっと可哀想な状態もあるでしょう。
例えば交通事故で亡くなって、死んだ後その場所に幽霊としてずっと居るものもいますよね。
私があまり質問されたら答えたくなかった内容のひとつが、例えば、もしかすると洪水で亡くなった人の霊は幽霊となって、事故現場に“地縛霊”となってその場所にずっとおられる、可能性がある、ということです。」

何田:「あーなるほど。交通事故とか災害事故、病気で病院で亡くなった人、自殺した人、よく幽霊が目撃されるのは地縛霊となられて、その場所にずっ~とおられるのですね。
自分のエネルギーが消滅するまで。」

積先生:「自分が死んだ気がないのだから、ご当人は。」

何田:「地縛霊になっておられる幽霊は“光を宿さない霊”だからでしょうか?」

積先生:「いいえ、“光の問題”ではありません。”時代の問題”です。
光を宿している霊も“お役目”としてその場所に残されることがあります。
神様が起こされる災害、大震災、洪水、台風等で亡くなられた人の霊は、やがてお役目として天に上げられるでしょう。
現在の人は戦争で亡くなった人を可哀想と悼みの感情でみていますが、もうすぐあの戦争でなくなった人の方が幸せだったかもしれない、と思うようになるでしょう。
『残された人、生き残った人、その子孫の、責任とやるべきことは非常に重いのです。』

何田:「積先生、“たましい”に“光がある”、“光がない”って、光というのは何でしょうか?
“たましい”に光がある人は他人のために、他人を優先に祈れる、ということでしょうか?」

積先生:「人間を差別したくないのですが、人間は生まれた時点でその人に宿る“たましい”の中に“光の量が多い人”と“光の量が少ない人”が存在するのです。」

何田:「えー!、生まれた時から光の量に多い少ないがあるのですか?
“たましい”の中に?
でも積先生、以前に“たましい”は生まれた時に“たましい”には光50%、闇50%半分半分で人間として生まれて来ると言っておられました。」

積先生:「光の量の問題と光の強さまたは質の問題は別です。
人、ひとりひとりにとって、“たましい”の光と闇は光50%、闇50%で生まれて来ます。
しかし他の人同士を比べると、Aさんは生まれた時から“たましい”の光の質が高い、BさんはAさんに比べてもっと高い、Cさんは一般的か低いという “光の質”の問題ですね。
人それぞれ“たましい”を持っていて、“たましい”は生まれた時は光50%、闇50%であります。
“たましい”は磨けば光ります。

“たましい”は磨かなければ“闇ばかりが増えていきます”。
ひとりひとりが自分の“たましい”を磨いて、光100%にして死んでいくことが人生の最終目的なのです。
それはひとりひとり、おのおの、個人個人でしかできません。
それは生きて人間の身体を持って、頭で考えて、正しい知識を知り、理解することで、すぐにできることです。
それが生きている間に“精神学”を学ぶということです。

次回をお楽しみに!