第2回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2018年06月27日(水)

 お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史

何田:「積先生、質問です。
死んだその瞬間はどのようになるのでしょうか?
私も『死』には小さい頃からとても興味があって、どんな感覚になって、意識はどうなるのだろう?とかよく考えていました。
例えば立花隆さん著の『臨死体験』とかを読むと、死に直面して生き返った人のお話では、お花畑が現れたり、三途の川が出てきたり、自分が肉体から出て遠くへ行った“幽体離脱”して、他の人のお話を聞いて覚えていたり、と臨死体験の臨床データから『死』とはどうなるのか?を考察されています。
それで一個人の肉体が死に直面すると、まず脳の中で脳内快楽物質といわれる、ドーパミンやβエンドルフィン、セロトニンらの脳内伝達物質が大量に放出されて、とても気持ちいい状態になって死を迎えます。
その時にお花畑、三途の川、知人との会話、宗教的信仰のお迎え、などが脳内に現れます。
次です。次は“たましい”は肉体から抜け出るのでしょうか?」

積先生:「はい。“たましい”のようなものが肉体から抜け出るのはユーチューブで検索すればいくらでも観られます。
死に際して、モヤモヤとした“たましい” のようなものが身体から抜けるのは、幽体離脱の体験報告とも一致するので、事実だと思います。」

私…: 「そのモヤモヤとした物が“たましい”ならば、“たましい”にはこちらが見えるのでしょうか?
また、“たましい”には、「神性」と「闇」が含まれているといわれていますが、それらは一体のものなのですか?」

積先生:「人が死んだばかりの“たましい”は人の格好をしています。」

私…: 「それが昔から言われている幽霊の正体ですか?」

積先生:「そうです。それが転生間際になると一寸法師みたいに小っちゃくなります。エネルギーが無くなって小さくなるわけです。」

私…: 「ああ、霊感の強い人が良く小さいおじさんや掌サイズの人が見えるというあれですか。」

積先生:「そうです。エネルギーを放出して人間の格好のままどんどんどんどん小さくなって、限度を超えると転生段階を迎えてどっかへ行ってしまします。」

私…: 「えー、幽霊もそのままでは持続せず、時間が経過するとエネルギーが抜けて、小さくなって、存在が無くなるか転生するか、変化があるのですか。」

私…: 「すると、“たましい”や幽霊は思考という考える能力を持っているのでしょうか?
以前のシンロジカルセミナーで積先生は幽霊は考える力を持っていない、と言われていました。
幽霊は“想い”だけが残っていて、例えばおじいさんやおばあさんが孫に『死んだ後は孫達をあの世から守るね。』とか言って死んでもそれはありえない?でしょうか。」

積先生:「ありえます。それは霊の想いだから。役に立つかどうかはわかりません。
けれどその想いだけは残るのです。
そして想いを残したら、そこにその場所に居ることになります。
今現実に大変なことが起こっています。
昔の死んだ人の霊は墓場に居ました。まあ、幽界と顕界という言葉通りのすみわけができていたのですね。
でも最近は幽界は顕界と重なっていて、霊は普通に家の中、人に付いていたり、また生きている人間の身体の中に取り込まれて同化したり、という今までになかった現象が日常茶飯事に起こっています。
幽霊というのは、その昔、幽界に去れずにこの世の側に姿をあらわしていたものたちの名称なので、霊と総称していいと思いますが、多いですね。」

私…: 「言葉の定義が曖昧です。霊、霊魂、幽霊、“たましい”、間違いやすいです。
昔、江戸時代以前は遺体が土に埋葬されたから、よく怪談話である、人魂が空を飛んでいる、これはリンが燃える物理現象でボワァとかユラユラとか、いろいろ言われてごちゃごちゃしています。」

積先生:「“たましい”その本体は火の玉みたいなもので、もっと光輝く、明るい玉のようだと思います。
それには、たくさん証言があるのです。
先の戦時中でどこか遠くで兵隊さんが戦死をされると、その出身の家の仏壇に明るい光の玉が帰って来たというお話しがたくさんあります。
家に帰る“たましい”もいれば、靖国神社に行った“たましい”もおられるでしょう。」

積先生:「私が何を言いたいかというとね、
『死んだら自分の“たましい”は、自分が決めた場所には行くらしい。』
と言うことが重要なのです。
死んだら“たましい”はどうやら自分が行こうと思うところに行くらしいのです。
さっきのおじいさんおばあさんのお話しで説明しますと、どうやら、おじいさんおばあさんが死ぬ間際でキチンと思いを残せば、死んでも働けるらしいのです。
霊になってね。」

私…: 「死んだら働ける・・・?」

積先生:「違います。死んでも働けます。
別な言い方をしますと、相手を末代まで呪ってやる、という言葉は効果があるのです。」

私…: 「ええ~!天に対して生前にできていなかったことを死んでも働こうとすれば働けると。
同様に同じ理屈で、自分が悔しい思いをして死んでいく前に、相手を呪ったり妬んだりすれば、それも有効に機能して、死んだ後は相手やその子孫が幸せにならないように、苦労を合わせた人や家族を取り殺せると、いうことでしょうか?」

積先生:「呪い殺すという作用は機能するのです。
例えば自殺者の例ではいうと、イジメとかあって自殺する人はどうせ死ぬんだったらイジメた相手を呪い殺してやると思って死んでいくと、イジメた相手にその思いのエネルギーが機能するわけです。
呪い殺せますよ、強烈な想いを生きているうちに持てていればですが。
『私は自殺をするのだけれど私の自殺の原因を作った相手を末代まで呪い続けてやる。』と思って死んだらその通りになります。」

私…: 「そう呪って自殺した人は死んだ後は、ずーっとその思いのままの状態ですか?
エンドレスのまま・・・。」

積先生:「思いのエネルギーの怖さを知らないから、イジメが蔓延するのです。
普通の人間は、たとえ呪っても、呪いをやっているうちに嫌になってやめていくのがほとんどです。ただ、執念があれば効力もある…。
昔の人はそれを知っていたのです。
だからお百度参りとかありました。
現代人は呪い殺すということを知らない。
それは死んでも“たましい”は消えないことを知らないのと同じです。
自殺する人は自分だけが死んで犠牲になって、自分の暗黒に閉ざされるだけで、イジメた相手には何も悪影響が表れないから、イジメが治まらなく広まるばかりです。
死んだら終わり文明の教育せいで、現在はイジメにストップが効かない状態なのです。」

次回をお楽しみに!