第114回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2020年8月26日(水)

(通算第183回)
お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20206013収録)

何田:「積先生、世代、世代によって考え方って似ていませんか?ある世代で同じような考え方をする人達ばかりいて、違う世代では考え方が全く違って、でも同世代では考え方が同じ人が多いです。
後から生まれてきた人達からみると、“歴史は繰り返していない”と思うのです。」

積先生:「繰り返してない、です。」

何田:「ということは、その世代の人達の“罪”というのは問われないのでしょうか?
後から生まれてきた世代ばかりが“損”なのでしょうか?」」

積先生:「いやいや、“たましい”的には“罪”は問われます。
“たましいは問われる”のです。」

何田:「ちゃんと罪は問われるのですか!自分のやって来た罪だけでなく、“世代の罪”、“日本を国を危ない方向に持っていったという罪”も問われるということでしょうか?」

積先生:「だから全体でいえば、“群体(ぐんたい)”として、“群れ(むれ)”としてね、世代間によって“たましいの質”がちょっとずつ違うのです。
いま“一番罪深いたましい”は“団塊の世代”で、この国で生まれています。若い人の方がその意味では罪は軽いのです。世代の人達に自覚があるかどうか知りませんが・・・。
でも人生が苦しいのは同じです。」

何田:「ということは一神教だけが原因でなく、元々“闇の因子”を“たましい”に持って生まれてきた人達であるいうことでしょうか?
“最終知識”の記載でいえば、イエス様を十字架に架けて殺した“ねたみ・そねみ・つらみ”の闇の因子を持って生まれてきた人達ということですか?
つまり、“最終知識”に記載の、この地球の前の地球を5度滅ぼした、”闇の因子”を受け継いだ人達ということですか?
闇の根の根の底の、闇のドロドロしたエネルギーの塊(かたまり)を”たましい”を持っている人達によって、また地球上で戦争が引き起こされ、デスゲーム(死のゲーム)を当たり前に日常に繰り返している人達の、”自覚なき罪”を問うものはだれもいない、でしょうか?・・・」

積先生:「それは地球だけじゃないかもしれないよ。」

何田:「それを、積先生をつかさどる存在様は放出させて、消滅させるために・・・。」

積先生:「放出させるのではなくて、『この宇宙はその“分離”をするために存在しています。』」

何田:「光の部分だけ“分離”するのですか!」

積先生:「でないと“平等”でないでしょ。“約束している”のだから。
『光のものは光へ、闇のものは闇へ』ということです。

だから、私が死にかける時には、“闇のものは闇へ”というのをはっきり言って人間世界に、言葉として皆さんの潜在意識に残るように、何らかの形で“刻印(こくいん)”して去っていこうと思っています。」

何田:「それは人間の存在だけでなく、神様や悪魔、仏や霊、精霊や眷属など、“地球上に存在するあらゆるすべての意識体に対して”、ということですか?」

積先生:「『この宇宙のルールは“光のものは光へ”“闇のものは闇へ”』です。
『“光”と“闇”を“分離するため”に、この全宇宙が存在しているのだ』というのが“この宇宙のルール”なのです!
『物語宇宙』というのはそういうことです。」

何田:「では、ある人が、“私は光を目指して光の人として働けるよう生きています。でもまだ光の人として働けていません。私は闇は嫌いです。だから闇の人ではありません。
しかし私はまだ光の人ではありません。ですが地獄に行きたくありません。”という自覚の人がほとんどだと思います。
そのような人達は他人から“あなたは闇の人ですね”と指摘されれば怒り出します。しかし、“あなたは光の人ですか?”と質問されれば自信がないのではっきり“そうです”と答えられない。そういうグレーゾーンの人達はどうなるのでしょうか?
つまり“光の人だけ”がチョイスされ、“光と闇の混合の人”は“闇の人”と同様に地獄に行くのでしょうか?つまり“地獄”=“闇の宇宙”=“ひとりだけ宇宙”に取り残されるのでしょうか?」

積先生:「そうですよ。だって“光の宇宙”に来たくないのですから。“信仰(しんじてあおぎみる)”がないと“光の宇宙”に行きたいって思わないでしょ。
“光の宇宙に行きたい”って願うことは“神様どうぞ光のものとして私を使ってください”ということなのです。ところが今の“闇の社会の中で何とか生かしてください”とか“楽して生きたい”と願うと、結果“闇の宇宙”につながって“闇の宇宙の住人”になるのです。
“光の宇宙”に行きたいと願うことは、“光の宇宙の住人として働きます”と宣言して働いている人なのです。」

何田:「光の宇宙には行きたいけれど、闇の宇宙には行きたくない、という人はどうなるのでしょうか?」

積先生:「それは宗教の時代を生きている人のお話です。宗教の時代が終わった後には『“光”と“闇”しかない』のです。『光の宇宙』と『闇の宇宙』しかないのです。
つまり中間の“私には光もあるけれど闇もあります”“それでもいいよ”という宗教的な救済の考え方はない!のです。これは論理的な帰結でしょう。」

何田:「ああそうですか!ひょっとして“最終知識”に記載がある“心(こころ)”の問題ですか?
つまり中途半端状態でも“いいよ、いいよ”“それでもあなたは救われるよ”みたいな、光と闇が混ざっている人でも救われるというのは、宗教の間違った教えであって、実際、“死んでみたら救われることはない”ということですか。」

積先生:「そうです。“こころ”というのは“グレーゾーン”でしょ。人間のこころはグレーゾーンであり、もの凄いエネルギーの供給源でもあるのです。
そのこころから生み出される“思いのエネルギー”の多くは、はっきりいって“邪念(じゃねん)”なのです。
“お金がほしい”“あの子にモテたい”“あいつがうらやましい”“なんで自分はこんなに運が悪いのか”とか“そのようなエネルギー”がこの世の中に放出されています。
そしてそのエネルギーは“人間の中に再吸収されて動いて”います。
つまり“こころのエネルギー”が邪念を生んで、そのエネルギーを人間は光のエネルギーだと勘違いして、有り難がって生きています。自分が邪念のエネルギーの発生源であり、浄化力を獲得しないといつまで経っても“闇の宇宙”の住人のまま死んでいくことになります。
私が『あなたが死んだあとに気が付いても遅いですよ』と忠告し続けているのは、論理が成立しているからなのです。」

次回をお楽しみに!