第53回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2019年6月26日(水)

(通算第122回)
お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20190309収録)

何田:「積先生、皆さんよく、“祈っています”、とか“祈り(いのり)”という言葉を使いますが、“祈り”もその内容が問題で、中身によっては別物になるでしょうか?」

積先生:「祈りの中身によっては、神様に祈っているつもりが悪魔様につながるのです。だから人間の欲望というものは厄介なのです。
つまり、“お祈りのいろは”でね、『自分のために祈るな(自分のために祈ってはいけません)』というルールがキリスト教世界ではちゃんとあります。
自分のために祈った時点で、それはもう悪魔に対するお祈りになるのです。悪魔を崇めているということになるのです。」

何田:「祈りに対してとても大事なことです。祈りは神様にだけ通じていると思っていてはいけない、ということですね。ありがとうございました。
例えばポイントは何でしょうか?自分の祈りが間違っていると気付く方法はあるのでしょうか?」

積先生:「それはすごく簡単です。祈れば祈るほど、(自分が)どんどん不幸になっていきます。カルトに入信したり、病気になったりしていきます。」

何田:「祈りが間違っているとは知らずに、そこからまた自分が幸福になるように祈るのですが・・・。その方向が間違っているということでしょうか?」

積先生:「そう、さらに悪くなって、最終的には“神様を呪い始めます。”
“私は神様のために生きていたつもりなのに、神様は私を助けてくれなかった。なぜ私みたいにいい人を救ってくれないのですか?!”って文句を言って呪い始めます。
すっごい解りやすいでしょ。精神学協会の会員の方も結構おられるでしょうね。“なんで積さんは、私をちゃんと助けてくれないのよ”って。私は助けていますよ。その人が不幸に転がる前に、不幸がそこで止まっているだけでも助かっているのです。そのまま行けばその人の人生危なかったでしょうね。普通だったら死なれているでしょう。でも皆さんそこは気が付かない、のです。」

何田:「そうだとすると、積先生、自分の人生を客観的に見つめるクセや方法を身につけないといけませんね。不幸の最下限と幸福の最上限を意識して見つめないと、目隠ししたままで人生を過ごすから、自分のおかれている立場に感謝が持てないことになります。」

積先生:「それも含めてあなたの人生があるのです。この世に生まれ出て人生を人間として生き、死んでいく、意義はとても大きいのです。」

何田:「積先生、このまま、神様を知らずに呪って死んでいくと、死んだ後、人は気付く場面があるのでしょうか?」

積先生:「ないです。ありません。だって『人生の生き方を間違えれば、自分で地獄をつくってそこに閉ざされることになっていますから…。』
『人間は“地獄”をつくる容器でもあります。』
それで地球がすこしは綺麗になっていくのだからいいのです。(地球浄化システム)
現在生きている日本人のほとんどは地獄をつくる要員なのです。
“たましい”の最後の救いは『命の書』への登録だから、地獄に行ってしまった自分のお父さんやお母さん、知り合いの“たましい”を誰かが『命の書に登録』してあげてください。
命の書に登録された“たましい”は地獄から救い出され、永遠の喜びの『光の宇宙』に行くことができる権利を与えられます。それは生きている人がしてあげなければ、命の書への登録はできない。それは“本当の愛”を持っている者にしかできない行為です。」

何田:「自分が生きている間に、自分用のお一人様地獄をつくって、死んだ後はその地獄に入っていく、それで正しいでしょうか?」

積先生:「それでよいです。いつも言っているのは、審判後の世界では、死んだ後には時空の転換が起きるということです。その時空の転換で“最後の審判”のあとはもはやまじわることがないのです。
“あっ、あっちの宇宙に行った人ね”、“こっちの宇宙に行った人ね”と先の宇宙同士は接触することがないので全く関係がなくなってしまいます。」

何田:「現在の人は普通、“人生は楽しく、豊かに、謳歌するものです”と皆さんその認識で生きています。そして人生の困難に対して、人知で考えて、自分で判断して乗り越えていくことができる、と人の判断が一番正しいと思い込みがちです。
しかし実際、人は“たましい”を持っているので、『神』というテーマを人生の正面に据えて考えないから、人生を間違うのでしょうか?」

積先生:「『神というテーマ』を私と同じレベルで人生の中で考え続けたならば、同じ結論にしか達しない、でしょ。理屈で考えたらそうなるでしょ、ということを私は人にお伝えしなければいけない、と思っています。
それは宗教的な言葉を一切使わずして、子供でも解るように、そういうお話しを、“こういう仕組みになっているのよ”って、私が生きている間に何らかの形で人にお伝えできるようにはしなくちゃいけないな、と思っています。」

何田:「それが“学問”ですね。」

積先生:「そうです。それが『学問です。』そういう私の頭の中をつくるために、私がいうところの“神様業界”が私にいろんな試練を与えて神秘体験もさせて、これまでの時間をかけてきたのです。
“私をつくったもの”と私がいっているのは、“私をつくったものがいる”という前提に立ったら、“神様がいる”って私がいっているのと同じことなのです。

私の頭の中にあるデータを、私と同じような論理構成で考えれば、私と同じようにものが考えられるようになるはずでしょ。
もし、頭の回路が私と同じようになったとしたら、私と同じように“きっと神秘体験もできる”、それが理屈です。
そう思いませんか?」

次回をお楽しみに!