第49回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2019年5月29日(水)

(通算第118回)
お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20190309収録)

何田:「他人の中傷をしたり、人の言葉尻や行動を他の人と批判するというか、そういうことをしている人は楽しいのでしょうか?
人は本当に楽しいから他人の“陰口”叩くのでしょうか?」

積先生:「人を“中傷”するというのは、たぶん楽しいのでしょう。いまの時代の人間は妬むものだからです。得るものが何もないのにね。楽しいのでしょう、悪魔さん的には、人はそうやって操作ができるということです。人は悪魔に操作されているということに気がつかない、のです。」

何田:「“最終知識”には“神”から、個人には自由が与えられているので、自分が何を選択し、チョイスするかは個人の自由が優先されます、が、まさか自分が悪魔の手先となって働いている、とは思いもよらないでしょう。
なぜって基本的に人は自分が“正しい”、“正しく生きている”、“悪者にはなりたくない”と思って生きているからです。
悪魔の操作によって、中傷や陰口をしていることに気づかないのは、自分は正しく、行いことは楽しいという正義の思い込みからきているのでしょうか?」

積先生:「自分が正しいと思っているかどうかは別(人それぞれ)ですが、ただ皆さん頭の中に、 “いいわけ”は(共通して)あるでしょう。」

何田:「“いいわけ”ですか?」

積先生:「そう、ご当人の“いいわけ”ね。それで自分が納得する“いいわけ”です。
そうじゃないと(行動が)できない。
“それが正しいかどうか?は別のお話し”です。ご当人にとってはそれが、今のところ、最大の選択なのです。」

何田:「積先生、ちょっとお話しが飛びますが。私は昔、ライアル・ワトソン著“生命潮流”等を読んでいたことがあります。
つまり、生命はどこから来て、何を目的に発生したのか?生まれて進化してきたのか?その目的は何なのか?という疑問です。
その疑問に対して、積先生のお答えは『生命は、物質宇宙の意志(神意識体)が“自分は何もので、どこから来てどこへ行くのか?”を調査し、分析し、考え、答えを出すために、生み出したものが“生命”である。つまりそれが進化して、生命は神を考える“人間の頭脳”を獲得した』、といわれています。

私がいいたいことは、そういう正しい生命のルート(しくみ)に乗って、人は自分の頭脳で正しかれ、と考えて行った行動や言葉が悪魔の手先の結果を生んで、間違った現象を世に出してしまったなら、生命のシステムは“君、間違っているよ”と警告を発してくれないのでしょうか?」

積先生:「何田さんのいう生命のシステムは警告を発していますよ。“病気”になったりする、じゃないですか。
何田さん、あなたのいいたいことはこうでしょう。
要するに、“生命が正しいものであるとするならば、遺伝子情報はすべて正しい”、ということになってしまいます。それは、“神は間違えないという人間の思い込みの結果です。”
“遺伝子”というものは“あれもためし、これもためし”をずっとしてきたのです。それでほとんどの“おためし(お試し)”は失敗するのです。
“突然変異”という言葉があって、“突然変異”は常に年がら年中発生しているのです(生物固体内でも生命体系でも)。

例えば人間の細胞でいえば“突然変異”すれば“がん細胞”になります。これは失敗例です。生命はしょっちゅう失敗している、のです。
たまに“成功例”がでてきます。
それが “この宇宙のしくみ”なのです。」

何田:「あああ!そういう理由(わけ)なのでしたか!」

積先生:「だから、生命あるものは必ず正しいベクトル(方向)を持つか?っていうと、それは違います。
『正しい方向はこっちだなって方向づけるために、無数の過ちを犯すように、つくられている(生命システムが)』、のです。」

何田:「なるほどそれなら納得できます。
“個”というものがこの道、その道、いろんな道をためすのではなく、全員が一斉にいろんな方向に散らばって、それぞれの道を選んで進んで・・・。」

積先生:「そうそう、ためしてみて、成功するやつもいれば失敗するやつもいる。
それで普通の人間の“いいわけ”は、“あの人はあれで成功したから(私も)同じことをしてもいいはず…”、といういいわけをするのです。自分もあの人のようになりたいと思って。
でも“それは関係がないの”。“あの人はあれで成功したの”それだけなの。あなたにはあなたのやり方があるから関係がないのです。ただ参考にはなるのでしょう。」

何田:「なるほど、自分はあの人にはなれないし、真似てもなれない、ということでしょうか?」

積先生:「そうです。ただそこに万人に共通の“法則性”(学べば誰でも結果を出せる)を発見すれば、科学になります。
でも普通の人はそこに科学的分析を入れないでしょ。
何田さんあなた、日本で大金持ちの誰々さんのようになりたいですか?て聞かれたらのその人のようになりたいと思いますか?」

何田:「いいえ、なりたくないです・」

積先生:「なぜ、なりたくないのですか?」

何田:「それはその人と同じ人生を歩めるかといえば、自分にはできないですし、いくら大金持ちになっても、責任も重いし、何よりも人生が面白くなさそうだからです。」

積先生:「だから最初から何田さんは大金持ちを目指してはいないわけです。何田さんにとっては、誰々さんはちっとも理想ではないのです。大金持ちを目指している人にとっては、誰々さんは理想になるでしょう。つまり大金持ちになりたい人はたくさんいて、それを、誰々さんを理想にして成功する人はごく少数なのです。」

何田:「お金があれば成功ですか・・・?」

積先生:「“お金があれば成功ですね”、というのが20世紀以降のアメリカ文化です。
“お金があれば成功ですね”っていう時代は人類の文明史の中で、ごくごく少ないのです。しかも、ごく最近。
せいぜい、現在から遡って(さかのぼって)200年ほどです。」

何田:「ああ“マネー信仰”という思想でしょうか?」

積先生:「それはすごい現代的なものです。近代ですらなくてほぼ現代のもの。
それは(マネー信仰は)“アメリカ文明”の特質です。でも、それがもう終わりに近づいています。」

次回をお楽しみに!