第3回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2018年07月04日(水)

 お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史

積先生:「呪いや恨みが存在するということを知らないと今の日本社会のイジメの構造はなくならない、といってもいいのです。」

何田:「昔の人は悪いことや人から恨まれることをすると、死んでから閻魔大王様に裁かれて地獄へ行くことになる、と考えられていました。
罪を犯した人は罰を与えられて地獄で罪を償うことになります。
地獄は想像以上に耐えがたくつらいから、生きているうちになるべく罪を犯さないように人生を生きるようになっていました。
罪の抑制が効いていました。
でも今現在はもうそういったシステムは無くなりましたでしょうか?」

積先生:「そういう地獄思想のシステムは昔と変わっていないけれど、誰も教えていません。
それに皆さん信じていないでしょ。
死ぬ側が信じていないとシステムは機能しないのです。」

何田:「お話しを少し戻して、“霊”と“幽霊”は違いますか?」

積先生:「はい、違います。
“霊体”というのは人間の“たましい”の“霊の部分”つまり記憶です。
人間の“たましい”には“天”からいただいた神性の部分と、“地”からいただいた神性の部分がダブルで入っています。
日本語で言うと“天津神”と“国津神”の神性です。」

何田:「“天”、“地”、両方の神性ですね。」

積先生:「そうです。
それとは別に人間の意識活動によって形成されたエネルギーが霊体として、データとして記録されています。
それは死んだ後、その人を審判するためのデータなのですが、想いのエネルギーだから、エネルギーを持っています。方向性も持っています。
それは他の人間に働きかけることができます。
もっといえば“他の人間に入り込むこと”もできるのです。」

何田:「えっ!他人の身体の中に他の人の霊体が入り込むことができるのですか?」

積先生:「そう、現在、霊は他人にいっぱい入っています。日常茶飯事に起こっています。
“人間は神の容器”なのです。
ということは人間という小宇宙はそういうもの、エネルギーの入れ物ですから、人間の思いのエネルギーの“容器”にもなる、ということを認識してください。
人間が亡くなる、つまり、身体がなくなるということはね、どういうことかというと、その容器がなくなるということなのです。
別のいい方をすると生きている人間の身体は牢獄なのです。
生きている人間では身体が霊を留めて離さないようになっています。
しかし人間が死ぬと身体がなくなって、霊、霊体は解き放たれます。
そうなるとその霊はどこへでも行けるようになります。
どこへでもいけるのですがその“霊が知っている場所”へしか行くことができません。
地図が必要なのです。
生きている間に知っていないと、正しい知識がなければ、正しい地図を持っていない状態で死ぬので、どこへも行くことができないのです。
死んでから、さ迷います。
だから他の人間に取り憑いたり、他人の身体に入ることになる。
それは、道理です。」

何田:「“たましい”は身体ひとつに“たましい”はひとつ、だとお聞きしています。」

積先生:「身体ひとつに“たましい”ひとつです。
それが“小宇宙”です。
人間の身体の中に“たましい”がある間は、その外から、たとえば、私が何かをしようと思ってもできる限界があります。
悪魔がいるとわかっていても、私がその小宇宙に手を突っ込んで取ることはできません。
私は誰かの身体に光のエネルギーを供給することぐらいしかできないのです。
人間の身体はその“たましい”を守る牢獄だから。
あなたたちが常に勘違いしておられるのは、私が光のエネルギーであなたたちの身体の中にある闇を焼き尽くしてくれるのではないか、と期待する点だといっておきます。
それぞれの小宇宙は、あなたたちの身体の中にある限り外部からの力をブロックする働きをします。
身体はバッファーだから。(バッファー、バッファ(英: buffer)とは、「緩衝するもの」の意味)外からちからをかけても、ほとんど効き目がないの。一晩寝たら闇は元の状態に戻るよ、と言っているのはそういうことなのです。
結局、最後はあなたたち、それぞれの人間の“信仰”の問題なのです。
解決策はその人の“本当の信仰”なのです。」

積先生:「人間が、死んだら身体がなくなるので、そのタイミングでは変な話、霊に接触できるわけです。
つまり、霊を集めるとエネルギーになるのです。だから悪魔業界は人間の“死”を喜ぶのです。
世界の歴史の中で王朝によって大虐殺を行うのは、“死”によってエネルギーを集められるというノウハウを持っている者達が人間社会をこれまで支配してきたことを示しているといってもいいのでしょう。」

何田:「エネルギーというものを何に使うか?ということ、方向性が重要だということでしょうか?」

積先生:「そうです。恐怖心によって死んだ“たましい”は萎縮してしまっているから扱いやすくなります。
“たましい”は燃料になるのです。
ところが、キリスト教的にいうとイエス様と繋がっている人は、“義”によって死んだ人達だから“たましい”に光を宿しているので、悪魔や闇のものは“たましい”に手が付けられないのです。
いかなる暴力によっても屈さず、“天の義”に生きた人達の“たましい”は生きている間に、死んだ瞬間、光に保護されることが決まっているのです。
悪魔や闇のものは光の“たましい”に手が出せない、のです。
ところが義を知らないで生きてきた人の“たましい”は悪魔や闇の者達によってエネルギー源として利用されることになります。
重要なことは生きている間に、あなたの“たましい”は死んだ後の行き先がもう“決定”してしまっている、ということです。
死んだ人の“たましい”というものはそれによって、もうすでに死んだ瞬間から“区別”されています。
なんとなくわかりましたか?」

次回をお楽しみに!