2.もしゅのつとめ 2018.6.25

精神学協会に身を置き学ばせてもらっている者ながら、母の弔いは我が家の仕来りに則り仏式での見送りになりました。
もうすぐ49日という〆の日を迎えることになりますが、生前、母はよくこの家の墓には入りたくないと申しておりました。
あまり良い思い出の無い言わばこの家とは唯一他人である母の気持ちでしたが、それでも嫁いで約60年、早くに夫(私の父)を無くし、その後まさに女手一つで私と妹、そして祖母(姑)の面倒を最期までみて、その後は1人で大きな古民家を守って来ました。

そんな母の実家やその墓も車で10分ぐらいの所にあるのですが、そこも今では殆ど空き家同然で、たまに母が行って面倒をみていたような状態です。
要するに、遠方にきょうだいたちはいるものの殆ど出会えることも無かったし、そんな寂しい墓に入ってもしょうがないので、この家(私の実家)の墓に入るしかないでしょうとこぼしておりました。
実際に私と妹は、骨壺をこの家の墓に入れてしまっても良いのだろうかという思いがあり、妹などは、私がずっと持っていようかな〜という始末…。

しかし本当の問題は、骨をおさめる墓ではなく死んだ後の魂のいき場所です。
私どもは精神学協会にて学ばせて頂きましたので、例えば仏式で故人を弔っても、嘗ては存在したのであろう仏界たる拠り所はもうとっくに無く、それら魂の行き先が無いことを知っています。
生前には、精神学協会の学びのことを伝えたり最終知識の本も渡しておりましたが、母がどこまで真剣にそのことを捉えていたかはさだかではありません。
しかし、魂という身軽なものになったいまでは、私を通じて、ある意味私以上にこれらのことを学んでいるのではないかと感じていますが、生身の私などは、まだまだ俗世の欲や腑甲斐のない我が身にまとってしまう闇の所為で遅遅として進みませんが、もともとそういうモチベーションを備えていた母の魂は、猛烈にこの学びとその先にあるものを求めているのではないでしょうか!

命の書にも母の名を登録させて頂いています。しかし、ちゃんと行けるのでしょうか!
このまえのゴッドブレインの光文書にて、ある会員の方の故人の身内に光の送りをすることが書かれていました。
そういえば…私もマツリヌシ講座を受け、その称号を与えて頂いているみであることを思い出しました。

そしてまた耳の中に響きました「もしゅのつとめ〜」と…。

葬儀の日に、生前よく玄関に生け花を置いていた母の真似をして生けてみました。