[11]ご来光・・

皆さま、明けましておめでとうございます。
私は、毎年元旦の早朝に稲羽山(金華山)に登り、ご来光を仰ぎます。
この稲羽山(金華山)の山頂にある岐阜城は、戦国時代に美濃国を治めた斎藤氏(斎藤道三)の居城であるとともに、織田信長公が天下統一の拠点とした城としても有名です。

2019年のご来光は、ここ数年のご来光と比較しても輝きが特段に増しているように
私には映りました。
そして、あまねく一切を照らすこの光は、私たち日本人に正気を取り戻せ!と訴え!
目覚めを促しているかのように、眩い光を放っていました!

織田信長といえば『天下布武』、自身の印章に用いた文言として有名です。
一般的には、「天下を武力で平定する」というような意味合いで捉えられがちですが、本当は武力の『武』ではないのです。

『武』とは本来、「戦いを止める」という意味を持ちます。

また、『武』には『七徳の武』の意が込められていると言われています。

七徳の武とは‥.                                      
1、暴を禁じる
2、戦を止める
3、大を保つ
4、功を定める
5、民を案じる
6、衆を和す
7、財を豊かにする
と言うものです‥

徳を持って治めれるほど、生易しい時代ではなかったあの戦乱の世に、信長公は未来を見つめ、新しい時代の代名詞として『天下布武』を使ったのです。

そして信長公は、天下統一という目標達成のために、やるべきことの一つとして経済の充実を図りました。
それが歴史に名高い、あの『楽市楽座』なのです。
あの時代は、領主や寺社達の「既得権益」でもあった座や関所と言った古い慣習を壊さないと自由な流通が始まらないと考えた信長公は、領主や寺社達に妬まれることを覚悟の上で、改革を進めました。
その結果として『楽市楽座』が庶民の支持を得たのは歴史が明らかにしています。
おそらく信長公は、改革を進める上で、燃えるような正義感と使命感を持っていたのでしょう。
そして戦国末期、信長公が新しい社会の基礎を作り、豊臣秀吉が改良を図り、徳川家康が総仕上げをして日本は、260年余と長く続いた江戸という一つの時代が築けたのも、信長公の存在無くしてあの大業を成し遂げることなどあり得ないことでした。

私が見たご来光は、正に『天下布武』のご来光であり、信長公の叱咤激励だったのかもしれません。

皆様、本年もよろしくお願い申し上げます。
たずさえ社

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です