第61回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2019年8月21日(水)

(通算第130回)
お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20190309収録)

何田:「積先生が人が天のお役目をはたすために邪魔をする、『阻害要因』というものは、じつは自分、私(わたし)自身が阻害要因だったのですね。自分を無くす、無私を貫いていく、生きることで天とつながり、メッセージや天のお役目を果たすための超能力が与えられる、ということですか!
ポイントは『無私』を行うということです。よくわかりました。
奥深いですね。自分の人生というものは、『神』というものを再発見して、そこからスタートするために、自分は生まれて来たのか?神の代わりとして、神の働くお役目を担うものとして。
そして積先生、最終知識には『神もまたプロセスにすぎない』、とあります。」

積先生:「そう、『神もまたプロセスのひとつにすぎない』。宇宙二つ分はなれた向こうから、この宇宙に私をおくりこんだものが『私をつかさどる存在』です。私がいうところの神なのです。その存在に神という名前はふさわしくないと思うけれど。地球の神様のレベルなんて、(積先生をつかさどる存在に比べると)大したことないということです。

それで、なぜ皆さんは大したことない地球の神様を恐れるのですか?
地球の歴史が矛盾に満ちている最大の理由は(地球の)神様の責任なのでしょう?
なぜ人はその神様に問いかけないのですか?」

何田:「問いかける先は積先生をつかさどる存在様にでしょうか?」

積先生:「ではなくて、地球の神様や神々様にです。地球の神様があなた方の『たましい』の元(もと)でしょう。」

何田:「みおや様にでしょうか?」

積先生:「みおや様ではありません。みおや様ではなくて、地球の神様、つまりひとりひとりの人間の『たましい』のもとに問いかけなければ問題解決はしないのです。
私の神様(積先生をつかさどる存在)は地球の神様とは縁もゆかりもありません。
あなた方の『たましい』とははっきりいって繋がりはありません。でも質問には答えてくださいます。
一番重要な問題はあなた方の『たましい』のもとたる神様の問題、なのです。
あなた方の『たましい』の元は『ねたむもの』なのです。
何田さん、あなたは嫉妬(しっと)しない人ですか?」

何田:「私も多分に漏れず、嫉妬します。人を羨み(うらやみ)ます。」

積先生:「人はね、ねたむことを卒業した時に、はじめて、ねたむものであるという神の神格を卒業できるのです。
それは入り口にすぎないのです。『ランク』があるのです、神様世界に。

『私はねたむものです』という神様は、日本で歴史的にいえば聖徳太子の時にすでに克服されているのです。」

何田:「人を、ねたんではいけません、うらんではいけません、と聖徳太子の十七条憲法に書いてあります。」

積先生:「そうです。あの時にもうすでに人間の知識として克服されているもの(ねたむこと、うらむこと)を、人間は持って生まれてきているのです。
それを、ひとりひとりが生きている間に克服しないと次のステージの神の問題には、(その人が)出会うことができないのです。

なぜ人間として生まれてきたのか?
それは人間として生きている間に『たましい』のレベルを高めて次に行くためです。
それをすることで人間は『たましい』の元たる神様の問題を解決して、次の神様のステージに進んで行くのです。
次のステージにはその次の神様の問題(テーマ)があります。その問題を克服してさらに次の神のステージに人間として進むことができます。人間は、頭脳と身体を持っているから神の問題を克服できます。
私たちは、神様が克服できなかった問題を克服するために『人間』として生まれてきているのです。」

何田:「ああ、積先生、なんとまあ、ゲームのトビラ(扉)みたいなものですね。えー!。」

積先生:「面白いでしょう!」

何田:「とても面白いです。この内容をアニメーションかゲームにしたらとても面白い。人間として、精神性が高くなって大人に成長する、実際現実化ゲームです。とても楽しいと思います。」

積先生:「何田さんが言うように、これをゲームのコンテンツのようなものとして理解することができた時に、普通の人間は『自分のたましい』というものを少しは理解できるようになります。
『ねたむものである』というところから卒業することすらできない『たましい』の持ち主の人間が、私の所に来てああでもない、こうでもないと自分の解釈をしゃべって、最後に『なぜ私を助けてくれないのですか?』という疑問に到ることがあります。
私はいわないけれど、結局、自分からすすんで『ねたむものである』ことを克服しない限り、助かることはないのです。
だから『最終知識に全部書いてあるから、最終知識を1000回読みなさい』としかいいようがないのです。
いま生きている人間は、ねたむ神の子なので当然なのです。

『今の人生は苦しくて辛くて、お金が欲しい、あいつの方が親もいい頭もいい、いろんなものを私より遙かに持っていて、こんな不平等な世の中に生まれた私は不幸です』っていくらぼやいたって、そういう自分の環境を選んで生まれてきたのでしょ。
『何を学びなさい』っていわれているのか?気がつきなさい、といった時に、なぜ一番先に『わたしはねたむものをやめます』っていえないのですか?
そういう人に私が『君ね、ねたむものをやめなさい』というのは簡単です。
しかしそんなことでねたむことをやめますか?
ねたむことによって自分がとことん、のたうち回って、不幸になって、逆恨みして、いろんなことを起こして、ねたむことによってこ~んなにひどい目に遭うのだと骨身に染みてわからないと、ねたむものを卒業することはできない、のです。

それを地球は2000年もかけてず~っとやってきたのです。
人類の歴史は『そういうたましい』の歴史なのです。」

『最終知識』の本
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『最終知識』の電子書籍
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『光文書(ヒカリモンジョ)』
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次回をお楽しみに!

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