第55回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2019年7月10日(水)

(通算第124回)
お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20190309収録)

何田:「積先生、私達が生きているこの宇宙には目的があると、いわれました。どういうことでしょうか?」

積先生:「この宇宙の目的がお金もうけということはないと思いませんか。すると、お金もうけを目的にした人生は、宇宙の目的に反した生き方ということになりますね。
私が知っているのは、この宇宙には目的があって、『宇宙は何のために生まれたか』ということを全体で考えているということです。
宇宙は宇宙全体で考えている思考容器なのです。」

何田:「それは御国で・・・。」

積先生:「御国とは関係がありません。むしろ精神学のテーマです。
この宇宙にはテーマがあるのです。
『自分はどこから来て、どこへ行こうとしているのか?』
宇宙自身がそれをまだ理解していないけれど、やがて宇宙がそれを理解した時には、人間というメディアを通して、それを“考える”必要はなくなります。
そうなったら人間は“苦しみ”から解放されます。その未来に人間が存在しているか、していないかはわかりませんが。たぶんこの宇宙が覚醒した時には、人間はもういないと思います。
“役割を終える”、ということはそういうことだからです。」

何田:「この宇宙にも“寿命”はありますか?」

積先生:「あります。」

何田:「広大無辺に思える・・・。」

積先生:「広大無辺に思えるこの宇宙の寿命というのは、何田さんが勘違いしていると思える物質的寿命とイコール(同じ)ではない、のです。
物質的なこの宇宙の寿命はもっと長いとおもいますが、“地球で人間が現在直面している神様の寿命はもうすぐ尽きる”、でしょう。
それらは、たかだか2000年のお話しです。イエスの十字架以来の2000年の歴史と2000年の間に生まれた“たましい”の総量、もしくは精神的エネルギーの総量分の存在でしかないのです。
この宇宙全体を地球の神様がつくったというのは、それは地球の神様の勘違いです。

おかしなお話しですが、キリスト教とか聖書が伝えるこの宇宙の造物主が本当に“わたしはねたむものですという神様”だったらば、私はとっくの昔にこの世に生きていません。
私は“ねたむものは神であるっていう存在を否定している”人なのですから。

何のために、私が(この宇宙の外から)送り込まれて来たかといえば、簡単にいえば“わたしはねたむものです”と聖書で宣言している神というもののテーマを解決するために、この歴史と人間世界がありました。という内容に、そろそろ地球の皆さんも気が付いてくださいね、ということを皆さんにお伝えするために、この地球に生まれてきているのです。これが私のお仕事です。
そのために“日本列島があるのです。”とお伝えしています。」

何田:「積先生は地球ではない宇宙の外からの神様から呼び出されて、最終知識にあるこの宇宙の全データを見せられて、まず概要のフレームがあってと記述されています。
この内容は他の人に理解できるのか?とも記述されています。」

積先生:「その当時はだれもわからないだろうと思いましたが、いまになると少しは理解される人達が増えてきました。もう少しすれば若い人達が“最終知識”の内容を素直に理解するでしょう。
そういう(地球の)“意識の場”を変えるために私は送り込まれてきたのです。“人間がすべてではない”という証(あかし)です。

“意識のエネルギー”というものは人間の脳が作り出したものだけではなく、例えば神様世界とか、魔界とかというものがあって、それの相互作用によって、私達の生きている人間の意識が規定されています。そのように考えるべきですよと精神学はお伝えしています。」

何田:「ああ、なるほど!そういうことでしたか。この“私”という“自我”というものは神様的な、魔界的な、エネルギーの相互作用によって作られている、ということですか?」

積先生:「そうです。本当の神様が“わたし、わたし”なんていうはずがないのです。でも聖書または、キリスト教の神様は“わたし、わたし”なのです。
そういう問題を解決する全てのデータは日本列島にしかないのです。これが世界の人々、特にアメリカの人々に理解できたら、この地球の中で日本のポジションが変わります。
そうなるとこの地球で核兵器を持っていなくても、この世界の中で特別なポジションを日本国は得ることができるようになるでしょう。だから私は、日本国は核兵器は持たなくてもいいよ、という立場です。
日本国は原子爆弾を落とされた被害国だからこそ、こういう仕組みが発動しましたよ、と世界にお伝えすることができたら、日本国は原子爆弾を持たなくても説得力のある国になります。

将来、地球が精神学に目覚めた時には、精神学協会が現在のバチカンみたいになるのではなく、上手くいけば日本の天皇という仕組みが、民主主義よりも上の“新しい民主主義”の概念を提示するはずです。“おおみたから”と“おおみこころ”の関係がわかると、“権威”だけはあるけれど、“権力”も“武力”も何にもない、それってすごいよね、と世界の常識が変わるはずです。武力は万能ではなく、“権威の方が武力より上である”、これが日本の歴史です。
『武によって、権威を守るのが武士道である。』
『その権威の根拠が、すべての人がどうすれば幸せになるのかを考え祈ることであり、武力や権力機構を抑制するために、“権威”が上に存在しているのです。この日本のシステムこそ、天が用意したものだとわかるように、これまでの歴史があったということです。』」

次回をお楽しみに!

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