第40回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2019年3月27日(水)

(通算第109回)
お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20181228収録)

何田:「積先生、次のご質問です。
バーチャルリアリティ(VR:コンピューターを用いて人工的な環境を作り出し、あたかもそこにいるかのように感じさせること。仮想現実。人工現実感。)など生命活動から離れたその場に行かなくても、脳を直接的、または間接的に電気で五感を刺激して、仮想体験することで経験ができるようになってきました。
仮想体験で経験できるようになると、生命の必要がなくなって、精神を育てることができるようになるのでしょうか?
実際に経験しなくても、仮想空間で意識が経験したり満足して、精神は育っていくことができるのでしょうか?」

積先生:「『精神』と『意識』は違います。」

何田:「えっ、精神と意識は違うのですか?同じようなものだと思っていました。」

積先生:「精神と意識は違います。『精神活動』は意識活動だと皆さんは思っているでしょう。けれどそれは違います。
『精神』というのは『精製された神性』です。
私は『たましいの中の神様の活動』の結果生まれたものを『精神』と呼びたいと思います。

正しくはそう考えるべきです。
その『たましい』の中の神様の活動のために、脳の電気回路を生きている間は使っています。そのたましいのエネルギーは死んでもなくならないみたいだね、ってお話しです。」

何田:「『私』というものが正しい方向を意識して目指して頑張って生きても神様には繋がらないのでしょうか?それは錯覚や思い込みでしょうか?」

積先生:「何田さん、何を質問されているのかわかりません。」

何田:「『私の意識』が満足する方向に動く・・・」

積先生:「ああそういうことを言いたいのですね。
意識が満足する方向に動くのと『たましい』が満足する方向に動くのとは、違います。
それが『精神学』のいろはでしょ。」

何田:「えっっっ・・・。いろはですか!」

積先生:「何田さんあのね、『意識活動』というのは、『欲望が最強』なのです。
お腹空いたな、セックスしたいな、お金欲しいな、など『欲望が意識のエンジン』です。
その欲望によって人間の文明は進化してきたのです。それは『闇』の部分です。
生命的欲求というものがあるでしょ、それだけで人間が生きているのであれば『唯物論』の考えでいいのです。
しかし、それと『たましい』のストーリーは同じではない、のです。」

何田:「先生、すると『私』と感じたり、考えている部分は意識側のものでしょうか?」

積先生:「人間の『自我』が大人になるまでに育ちます。
大人になるまでに育てられる自我の出発点に、現在の日本では、本来与えられるべき『あなたは神様の子だからね』という情報は一切インプットされないわけです。
『あなたは神様の子だから神様のルールに反したら、その権利は剥奪されるのよ』ということです。
以前にも言いましたが、殺したらいけない理由を説明できるのは精神学だけです。
それは『殺したら神性を失う』からです。
『神の子であるという特権を、人(他人や自分)を殺したら失う』、のです。」

何田:「なんと、そういう理由だったのですか!人を殺すとどうなるかという、罪は!」

積先生:「それでもよい、という人は他人や自分を殺すことになる。
お金の話でも同じです。それでもいいのという人、ルール破りをしても、お金が欲しいのという人はルールを破るでしょ。
でもそうすると神様世界というか、本来その人が持っている『神性』というものがどんどん失われていきます。」

何田:「そうですか、そうだったのですか!よく解りました。
『神様』と『たましい』の関係の説明を、自我が形成される前にインプットされていないから自分の頭で考えたその・・・。」

積先生:「いまの多くの人間は、自分の頭で作り出した『自分だけの価値観の中で生きている』わけです。」

何田:「そしてそのように生きて、次にその人が死んだら、『たましい』が肉体から離れて、『たましい』はレコードでありまして・・・、」

積先生:「いいえ、『たましい』はレコードではありません。レコードは『霊』というものです。データはそこに記録されています。
ただし、『霊』は『たましい』とイコール(同じ)ではありません。」

何田:「すると、自分だけの価値観の中で生きてきた人や、自分の考えが正しいと思い込んで生きた人は、死んだ後にどうなるのでしょうか?」

積先生:「そういう人達は死んだ後、霊的データだけが地上に残されて、『たましい』は・・・・」

何田:「『どこへ!、その『たましい』はどこへ行くのですか?」

積先生:「『たましい』はどこへ行くのでしょうね。っていうお話しなのです。
多くの場合はその人の霊的データの中に『たましい』は閉ざされてしまいます。
それがその人の『さようなら』なのです。
だから、『死に方』を間違えると、本来の神様と繋がっていたラインがなくなる、のです。」

何田:「死に方を間違えると。『死に方を間違える』ということは『生き方を間違えた』ということでしょうか?」

積先生:「そうです。いつも(私は)言っています。『理屈(りくつ)』だよって。全部、理屈(りくつ)で説明できます。理屈の出発点にその人の『たましい』は神様方のわけみたま(分けみたま)であり、『たましい』は神様方と繋がっているのだ、と受け入れたら、すべて辻褄(つじつま)が合う、のです。
しかし、今の日本ではそのようなことを考えないように教育されているし、洗脳されているし、生きているほとんどの人間は、お金持ちや権力者の奉仕者というか奴隷のように扱われています。
重要なのは『神様は奴隷を欲していない』ということ、です。
神様になぜ奴隷が必要なのですか?
神様が人間に昔からおっしゃっているのは『幸せに生きなさい』、『自由になりなさい』、ということを希望されています。そう神様は人に伝えています。
だったら、神様は奴隷を求めているのではなくて、解放されて自由なひとりひとりの人間が幸せに暮らす地上を人が作ってくれるのを待っているわけです。
そして日本国が戦争に負けたことによって、日本人はその幸せに暮らすことのできる地上の楽園に生きる権利を手に入れたのです。
なぜならば、日本国の戦後の憲法は九条を除くと、西洋の近代における理想主義がすべて織り込まれているから、です。」

次回をお楽しみに!

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