第181回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2021年12月8日(水)

(通算第252回)
    お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20210211収録)

積 : 日本の神様は、私がこの宇宙に来た時に、「ああ、これで地球も、宇宙も問題は全てが解決する」って思ったのだけれど、何にも解決しなかったのです。
それは、向こう(神様)も知らないし、私と私をつかさどる存在も知らないから。日本の神様は「えっ!全てを知っているんじゃなかったの?」って思ったのです。

それで『神の問題』をあきらかにするために、この30数年もの間、私はいろいろ、じたばた、やってきました。この間は私ひとりで働いているのではないのです。地球の神様も働いているし、悪魔君達も働いています。
今はアメリカあたりで、別なファクターが入ってきて、もしかしたら過去、人間に関与したUFOに乗っている宇宙人もこの物語に入ってくるのかもしれない。それは神様世界的にいえば、問題としては「同じ」だからそれでいいのです。
「つくづく人間世界って厄介だね」ってことですが、「最終的には片(かた)が付く」からよいのです。

何田: 過去、地球では真実を求めて亡くなった人達、殉教や迫害されて理不尽に亡くなった人達の「真実を求める祈り」は、命がなくなっても、地球を超えて、宇宙を超えて、積先生をつかさどる存在様のおられる宇宙の外に、届いたということでしょうか?

積 : そういうことになります。ですから私は「審判の光」を宿した今の子供達をいけにえにして、食べれば、おまえ達、悪の存在がそこにいることがばれるからね、っていう警告をインターネットやサイバー空間に流しています。

何田: 光文書には、闇のもの達も、最後の審判を恐れていると書いてあります。

積 : 最後の審判がなければ、闇のもの達が地球を永遠に支配できるだろうけれど、そんなことは「許さない」。
私をこの宇宙に送り込んだ、私が神というもの、私をつかさどる存在に「許しはない」って、私がずっと言っていることを思い出してごらんなさい。うちのルールでは許しはないのです。許すのは人間世界だけです。ですから、それはコンピュータに近いのですね。正しいか?正しくないか?なのです。正しいか?正しくないか?の世界には、許しなんて最初からないのです。
「許してもらえるなんて思うなよ」ってね。それは許してもらうのではなくて、自分で償(つぐな)うのです。

何田: 自分で償(つぐな)う。

積 : 違うでしょ。許すのと、自分で償(つぐな)うのは。主体性の問題です。ルール的には、許されることはないけれど、償(つぐな)うことは自分からできることでしょう。

何田: ありがとうございました。
次のご質問です。「働く」という言葉についてです。
聖書には「はじめに言葉ありき」という成句(せいく)があります。言葉にはエネルギーが乗りますか?言霊(ことだま)などどうでしょうか?

積 : 言葉にはエネルギーが乗ります。エネルギーが言葉になるといってもいいでしょう。

何田: こうなって欲しいなとか、言葉に出して言えば、実際そうなるのでしょうか?

積 : こうなって欲しいなと、人間が言えば、ある程度そうなるでしょう。エネルギーが作用しますから、ただ、何田さん、それはどっちに作用しますか?

何田: 光の側にも作用するし、闇の側にも作用すると思います。

積 : お金がほしいな、お金がほしいなと言っていれば、お金が入る人もいるでしょう。もてたいな、もてたいなと言っていれば、もてるようになる人もいるでしょう。
何田さんは、そんなことを聞きたいのではないでしょう。

何田: 働くっていう言葉はどう解釈すればいいのか?です。

積 : 「働く」は文字通り「傍(はた)を楽にする」という意味です。重要な点は、働かなかったら虚しいでしょ。「働く」ということの意味がこれからの時代、変わってくるでしょう。

何田: それはどういう意味でしょうか?AIが設計し、工作機械が物を作り、人はサイバー空間で働くとかでしょうか?

積 : サイバー空間で働くことが、人間にとって幸せでしょうか?サイバー空間で働くのは、AIで充分だと思います。人間は人間らしく生きるべきでしょ。人間が人間らしく生きて糧(かて)を得るための手段が“働く”ってことなのです。

何田: 働きたいのです!って、いう意志の現れの言葉を発していると、現実化するでしょうか?

積 : 言葉ですよ。何田さんが自分で答えを言ったでしょ。言葉です。何田さんが働きたいのは「光の言葉」を使って働きたいのでしょ。

何田: はい、そうです。

積 : それを実行しなさい。人に光の言葉を伝えたらよいのです。どんな手段であっても。

何田: それは積先生の光の言葉をお借りして、人に伝えてもいいのでしょうか?

積 : はい、どうぞ。何田さんが本気で、光の言葉を人に伝えたいと思うならば、本当に私がこれからこうなるよと言っていますと、人に伝えてくれたらよいのです。
そこで光の説明とか、神様の説明とかをしなくてもいいのです。それをするから変な方向に行くのです。仏教のお話をした後で、または日本の神様の説明をした後で、聖書のお話しなんかしたら、一般の人の頭がこんがらがるだけなのです。

何田: ああ、なんだ、そういうことでしたか!

積 : その辺のことをひと続きの知識で、面白く語れるのは、たぶん私ひとりくらいでしょう。余計なお世話で言うのであれば、もし何田さんが人にお話しをするのであれば、私が書いた物だけをお話してください。ここに言葉が書いてあります、と、それで伝わるはずです。

次回をおたのしみに!

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