第174回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2021年10月20日(水)

(通算第245回)
お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20210211収録)

何田:「最後の審判という言葉があります。ほとんどの日本人はわからない、というか想像できないのではないでしょうか?」

積先生:「できないでしょう。」

何田:「ただ最後の審判を知らなくても、積先生は毎日声に出して『わたしは最後の審判を希求します。』といいなさいと、いつもいわれています。生きている間に、最後の審判の光がやって来る人は幸せであると、いわれています。

人生のコンパス(羅針盤)は“たましい”の光の部分、つまり神性の部分が、人生を光の方向に導きます。“たましい”は“小宇宙”と置き換えられます。
そして、“こころ”は“その人の好きなものだけ”を映しています。

こころは鏡なので、本人の関心のある事しか映さない。好きなことだけしか、こころに映さないから、その人が正しいと思っていても、じつは闇の方向に自分の人生を動かしていることがあるということですね。

たましいの光の部分は正しく光の方向を指しています。しかし、こころの向きが光の方向を勘違いして、本当は闇の方向に向かって人生を生きている。そんな人は、たましいと、こころの方向が合わないから、病気やうつになるのですね。
それを防ぐためには、自分のたましいの光の部分(神性)を見つめて生きる必要があるのですね。向き合わないといけないのですね。」

積先生:「たましいに向き合うのではありません。自分に向き合うのです。
たましいだって、苦労なんかしたくないのです。たましいだって、つらいのです。神様だって、つらいのです。
たましいはつらくなると、家出します。たましいが家出した人を健全な状態にしようとすれば、まず、たましいを“あるべき座”に戻してあげなければいけません。そうしないと精神病、統合失調症、うつは治らないのです。」

何田:「たましいのあるべき座というものが身体のどこかにあるのですか?」

積先生:「人のたましいは、普通は胸にいます。人生に向き合うためにね。それがつら過ぎるとその場を離れることがあります。ただ、その人の小宇宙から逃げられないから、その人の身体のどこかにいるのです。」

何田:「たましいも逃げ出すのですか?」

積先生:「たましいは、すぐに逃げ出します。たましいがあるべき座にあれば、人は自殺なんかしません。たましいがあるべき座にないから、人は自殺したり、何ものかに身体を乗っ取られたりするのです。」

何田:「たましいが逃げ出す原因は、その人の内部側の問題ですか?それとも外、周りの問題もありますか?」

積先生:「周りの問題も当然あります。けれど、その最悪の環境はその人のたましいが選んで生まれた場なのです。だから、楽な人生なんかないのです。」

何田:「自分の小宇宙をなくせればいいのですね。」

積先生:「いいえ、“人は自分の小宇宙の審判者になれる”ということを理解してください。審判者になれるってことは、それは“自分の救世主になれる”ってことなのです。
だから、わたしは“ひとりひとりが救世主だよ”ってお伝えしています。」

何田:「ああ、そういうことでしたか。自分の小宇宙を、自分で審判するのですか?」

積先生:「それが“救済”です。それが“救世主”ってことです。」

何田:「自分の見たくない過去の行いや、間違ってきたすべてを、もうひとりの自分が審判するのですか?」

積先生:「もうひとりの自分がというよりは、何田さんあなたは、イエス様に会ったことがあるといいましたでしょ。ではイエス様はこういわれたはずです。『わたしはあなたであり、あなたはわたしである。』と。
これは何を意味しているのか、わかりますか?
イエス様は『わたしがやったことは、あなたもできる。だから、やりなさい。』といわれています。」

何田:「自分自身を十字架に架けよ、と。」

積先生:「そうです。架ければいいのです。『あなたの十字架を背負って、わたしについて来なさい。』と、イエス様は2000年も前にいわれています。
そのイエス様が目の前に現れて『わたしはあなたであり、あなたはわたしである。』といわれたのはどういうことですか?
それは『あなた、わたしと同じ経験をしなさい。』ということです。
それをあなたが背負ったら、何田さんがイエス様に会ったということは、今でもイエス様が生きておられるということです。それが“永遠の命を手に入れた”ということです。」

何田:「自分から十字架に掛かる“勇気”がとても必要ですか?
勇気があるか、勇気がないかを神様は問われているのですね。」

積先生:「キリスト教的な意味で本当に信仰の道を求めるならば、十字架に架かる勇気が問われます。」

何田:「積先生、すると日本の神々様はやさしいから、とよく聞きます。」

積先生:「何を質問しているのかよくわからない。」

能登はるみさん:「積先生、精神学を語るのに日本の神々様の名前とか、出来事とか必要なのですか?昔の日本の歴史を勉強しないと精神学は語れないって本当ですか?」

積先生:「語れないです。神様のお名前ぐらいは、お勉強した方がいいですね。つまり浄化と上昇ができるようになれば、日本の神様達にも会えます。そうすれば自分で検証ができます。古事記とか日本書紀の知識がなくても、神様に会ったら教えてもらえます。
『シラヤマヒメ様、こんにちは。』ってご挨拶すればいいのです。いろんなことを教えてくださいます。
何田さん、わたしがいっていることがわかりますか?
つまり、過去が伝えてきた神様のことが、それが正しいと、わたしはひと言もいっていません。浄化と上昇をすれば、神様から本当の歴史を直接、学ぶことができる、といっているのです。」

次回をおたのしみに!

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