第163回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2021年8月4日(水)

(通算第234回)
お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20210713収録)

積先生:「そういう光の媒介者(ばいかいしゃ)として神様と働く人が増えてくれば、その人達が集まって、何か光のプロジェクトができるでしょう。そのひとつひとつの積み重ねが日本社会を闇から光に変えます。ひいては世界全体を闇から光に変えるのです。
“闇の悪魔の地球”から、“光の神の地球”に変えることが『アーストラスト』というプロジェクト事業です。」

何田:「よくわかりました。ありがとうございました。」

何田:「積先生、次のご質問です。『恐怖と怒り』についてです。」

積先生:「『恐怖』と『怒り』はセットです。」

何田:「セットですか?“恐怖する人”って、“恐がりの人”で、“人に迷惑をかけたくないとか思って生きている人”、“やさしい人”が多いと思います。どちらかというと暴力(言葉、態度、力、圧力)を受ける被害者側の人間だと思います。
『支配と被支配』の関係でいうと被支配側の人だと思います。そのやさしい人がじつは 『怒り』を持って生きているということでしょうか?」

積先生:「『怒りは内向する』のです。自分の内側に怒りのエネルギーを向けて、溜め込みます。その怒りのエネルギーを溜めている人が“私は怒っていません”とか言うと、“身体が病気”になります。」

何田:「では『怒り(いかり)』って何ですか?
昔、ローマで始まったオリンピックの元になった、人と人の殺し合いを見て、観客が楽しむ、やる気が出る、エネルギーを発散してすっきりする、といったメカニズムでしょうか?
もっと遡る(さかのぼる)とボスザルの社会の“暴力による支配”の内側にあるメカニズムが間違いの原因でしょうか?
スパルタ教育とか、“なにくそっ!”って思ったらエネルギーが出るとか。」

積先生:「出るよ。」

何田:「怒りがエネルギーを生み出すのですか?」

積先生:「わたしから質問しますが、『なぜ怒るのですか?』
犬でも猫でも怒るでしょ。動物が怒るのは『自分が攻撃されると感じた時』です。」

何田:「この前ミヤマクワガタ(昆虫)が飛んできたのですが、怒って威嚇(いかく)していました。昆虫も、生命は攻撃されると怒るのでしょうか?」

積先生:「たぶん、『生命は波動的にわかる』のでしょう。」

何田:「いじめていないです。恐がっているみたいで・・・。何もしなかったらミヤマクワガタは落ちついてきました。
『最終知識』には『怒る脳の仕組みを変えよ』と記されています。

積先生:「そんな・・、人類共通のテーマみたいな質問をわたしにされても・・・。gsanさんなんて年がら年中怒り狂っておられます。“暴れそうなんですけど”って。」

gsanさん:「この闇のエネルギーの中でよく平気でいられますね。」

積先生:「あなた、それを“人徳(じんとく)”っていうのですよ。」

何田:「この闇のエネルギーが充満している社会の中で、不条理(ふじょうり)のばかりの日本の中で、平気でおられるそれは“練習”ですか?」

積先生:「“訓練”です。昔わたしは“瞬間湯沸かし器”と呼ばれていました。」

何田:「もう“怒る(いかる)こと”をやめられたのですか?」

積先生:「勝手にやまったの。理由は簡単です。『怒りに怒りで対処すると“ろくな結果”にならない』からです。」

gsanさん:「ドツボにはまりますよね。」

積先生:「そうそう。怒りを収(おさ)めるって、わたしがなぜ怒らないのか?って、いえば、とても簡単です。『(人間は)神様に近づくと腹も立たなくなるから。』

何田:「えーそうなのですか?」

積先生:「神様に近づいたらね、“ああ(人間って)こんなもんだ”って怒ることもしなくなります。」

何田:「それは人間の生存欲求から離れるほど怒らなくなるのでしょうか?」

積先生:「人間の生存要求??ああ、要するに人間の業(ごう)、カルマね。」

何田:「“私、この人生もういいや”と諦めたら怒りもなくなりますか?」

積先生:「いいえ、違います。『この人生もういいや』と思っている人は、『その怒りが自分の内側に向かいます。』」

何田:「ええそうなのですか・・・!」

積先生:「君、人間っていうものは“ややこしい(存在)”なのです。『諦めて死んだ人間は天国には行けない』のです。その辺を彷徨(さまよ)うのです。」

何田:「例えば“引き籠(こ)もりの生活をする人”はどうなりますか?」

積先生:「引き籠もりの人がいたら、その人が亡くなった時、その遺体をだれが始末するか?が問題になります。傍迷惑(はためいわく)この上ないでしょ。引き籠もって、マンションのワンルームで自分の遺体が腐っている。それを処理する人が大変です。」

何田:「人間はややこしいですか。引き籠もった生活の人も、人生が終わった後でも、霊になって、その辺を彷徨うことになるわけですね。
“自分は周りに迷惑をかけないで死んだ”と思っているけれど、実際はそうではなく、周りにも迷惑をかけて、霊になって彷徨うと。」

能登はるみさん:「鬱(うつ)病の人が外に出て、コンビニで買い物をしているなんて、それは鬱病なのですか?」

積先生:「鬱病ですね。コンビニはレジくらいだから、あまり他人と接触も少ないので、買い物くらいはできるのですね。

トリガー(引きがね、きっかけ)があります。
引き籠もりとか、鬱病とか、精神性の病気では、トリガーは人によって違います。
例えば、ある人にとっては親のひと言だし、ある人にとってはある種の波動だったり、人によっては何らかの記憶が蘇(よみがえ)ってきたり、いってみれば“トラウマ(心的外傷)”というものです。
だから、『そういう人達のために“祈ってあげなさい”』といっています、わたしは。

次回をおたのしみに!

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