第156回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2021年6月16日(水)

(通算第227回)
お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20210130収録)

何田:「積先生、質問です。霊界の“霊”って何でしょうか?
最終知識に『神界も霊を残した。魔界も霊を残した。そして、人間の霊界も霊を残していた。』と書いてあります。霊って何のことでしょうか?」

積先生:「霊というのはメモリー(記録、記録されたもの)です。
霊が残らなければ裁き(さばき)が起きないから。神も裁かれる、悪魔も裁かれる、人も裁かれる。」

何田:「霊は本体ではないということでしょうか? 脱皮した殻(から)のようなものでしょうか?
最終知識に記載のある、アマツツキ様は積先生を通じて光の宇宙に行かれました。」

積先生:「そうです。」

何田:「アマツツキ様の霊がその・・・。」

積先生:「はい、わたしのところに来ました。霊というよりアマツツキ様の闇の部分、魔ですね。その魔を処理するのに時間がかかりました。

本来、霊というのは“記録”です。ちゃんとその記録を読んだら、もうそれで解消されます。エネルギー体として残らない。」

何田:「あっ、霊(記録)を読む人が必要だということですね。霊(記録)を読むことで・・・。」

積先生:「そうそう、霊(記録)を読むことで問題が解決されるのです。
よく考えてごらんなさい。霊がなければ、騒ぎや問題なんて起こらないでしょ。
霊という記録が誰にも読まれず、無関心に放置されたままになっているから、騒ぎや問題が起こるのです。皆さんが霊を読まないからです。霊は誰かに読まれれば、エネルギー体でなくなってデータだけになって、静かになります。

人間霊界は、神様業界から見たらあまりに穢(けが)れているので、関わりたくないから放ってあるの。
『最後の審判』の時に、それも含めて全部(神様の霊、悪魔の霊、人間の霊、他の霊)、大そうじになります。それがこの2021年から始まるのです。どれだけの時間がかかるのか?わかりませんが。」

何田:「今まで残っていたのですね。」

積先生:「そうです。今まで大そうじをしていないから、これから、約束が実行されます。その大そうじを『最後の審判』または『立て替え、立て直し』といいます。対象は地球上の全ての意識体になります。何ものも逃げることはできません。」

何田:「それはおもしろいお話しです。」

積先生:「過去生きた人間の中の“最良のたましいの者達”が、精神学の光文書の記録の中で、どんどん復活して“光の座”を得て、かつて神と呼ばれたもの達と共に、今地球上で働いておられるのです。
それの示すところは、 “命(いのち)は永遠” だってことなんだよ。

だからあなた達によくよく言っておきます。
・『その辺に漂(ただ)っている霊』になりたいのか?
・きちんと働いて『神様が保存しておいてくれるような光の働きをした“たましい”』で死にたいのか?
どっちにするの???

子供の頃からこの問いかけを教えてあげれば、日本人はもっとよくなります。(かしこく元気になります)」

何田:「積先生、『命の書』についてもう一度教えてください。『命の書』はその“たましい”に関与しますか?」

積先生:「そこに関与します。『命の書』に登録をするだけで、『やがてあなたは“光の世界”に行けますよ。』って、わたしの神様(積先生をつかさどる存在様)が“約束(やくそく)”されています。

今、地獄の底にいる“たましい”でも、『命の書』に名前を登録すれば、光のものとして生きることができます。チャンスが与えられます。
『命の書』はわたしの神様(積先生をつかさどる存在様)の『愛(あい)』そのものです。“たましい”が地獄の底の暗黒領域に行っても、光のものとして再度働けるという“救済措置”、“やくそく(約束)”なのです。

何田:「『命の書』は一万円で登録できる約束ですね。その『命の書』の登録は、名前がわからない人、亡くなった日や性別がわからない人の“たましい”でも、登録ができるからおもしろいですね。」

積先生:「登録ができます。“たましい”のおもしろいところはね、この世界に入ってひとつわかった点は、その辺の人間霊界も含めて、人間の“たましい”は『最後の審判』の日まで、ぜんぶ置かれているということです。どこかに。ぜんぶといっても、もう転生している人は、別ですが…。
“たましい”はまちがいなく、どこかに置いてあります。亡くなった人の“たましい”とお話しができたり、コンタクトをとれるのは、そういうことです。」

何田:「『最後の審判』を終えたあとの“たましい”はどうなりますか?」

積先生:「あとの『次の時代』になった時にはもう“関係ない”です。もう別世界だから。
“たましい”は振り分けられます。つまり『光の宇宙で生きる“たましい”』と『闇の宇宙に去る “たましい”』に振り分けられて、お互いは『はい、さようなら』です。

いま、生きている人にお伝えしておきます。
“精神世界”というものがあります。『生きている人間の心は鏡(かがみ)』なので、『いつの時代の精神世界を心が映しているか?』によって、人間の生き方が変わります。
(何田注:重要)

どういうことか?というと、1000年前の精神世界を心が映している人(今生きている人)に“精神学”のお話しを繰り返ししても、その人は“わからない”のです。
現在、肉体を持って生きている人間であっても、心が昔のそれぞれの時代の精神世界を生きているから、その人の人生は、どうしてもその精神世界を表現した生き方になるのです。
それは『“知識が昔のまま”だから』です。

人に“精神学”を説明して、わかる人と、わからない人がでてくるのはそのためです。
“精神学”に興味を持つ人は、心の精神世界が最先端に位置し、同時に“たましい”が最上位に位置する、人だけが“精神学”に興味を持ちます。
それは親、兄弟、家族であっても、友達であっても、お互い分かり合えないのはそれが理由です。」

次回をおたのしみに!

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