第144回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2021年3月24日(水)

(通算第215回)
お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20201226収録)

積先生:「この宇宙には意志があります。意志があるのだったら、意識体として過去起きた事は、すべてどこかにデータとして残っているはずです。
“天はすべてお見通しだよ”という言葉はそういうことです。その時見当たらなかったとしても、どこかをほじくり出せば、データは出てきます。人間世界もそうなんだから、神様世界もそうなのです。」

何田:「そうですか!だから3000年前から、地球の神様との約束を守るために、積先生をつかさどる存在様は、この地球に働きかけてこられたということですね。
約束を守るために・・・。」

積先生:「“神は約束を守る”というのがテーマなのです。約3000年前にこの地球の神と交わした約束を守って実行しています。一生懸命。」

何田:「聖書も光り輝き始めますか?古事記、日本書紀も光り輝き始めますか?」

積先生:「そう思います。それが輝き始めた時に世界が日本を再発見する、と思います。
そうなったら世界の神を求める人達は必ず“日本語”を学ぶようになります。

日本語を学んだ人々は、日本にやって来て神様に出会うのです。
神様に出会えたら、その人達は神様に接触した時に、きっと神様に尋ねるでしょう。
『積さんが書いた“最終知識”という本は本物ですか?』って。
『はい、あれは(最終知識)本物です。』って神様がいってくれたら、それで済みます。
ちゃんと本物だと伝わります。少しでも読めばわかるからです。」

何田:「“最終知識”は『神様の書』ですもの。」

積先生:「自分が神様に出会って、神様に聞いてみたらいいのです。
精神学は、『神様に、君たち会えるよ』って、いっています。
何田さんも“イエス様”に会えたのでしょ。」

何田:「はい、お風呂にイコン島道鉱泉水を入れて、“浄化と上昇”をして、お風呂の中で、頭を下げて祈っていました。すると3年ほど昔に、京都伏見桃山のカトリック教会で祈った時に見えたイエス様の両足が頭の中に見えました。
昔は足だけでしたが、イコン島道鉱泉水のおかげか、目をつむったまま上を見上げると、イエス様の全身とお顔がはっきりと見えたのです。勿論、私は目はつむったままでした。
頭の中にイエス様の全身が見えたのです。自分でもびっくりしました。とても感動しました。
他にもたくさんの神様がおられました。イエス様は目の前に確実におられました。」

積先生:「これからの時代、『それは特別なことでなく、あなたも神様に会えるよ。』
『誰でも日本語と精神学を学べば、日本で神様に会えるよ。』っていう“リアル”なお話しです。
そういう経験をした人間は(神秘体験)、はっきりいって、“おまえを十字架に架けるよ”と言われても、“十字架は痛いのかな、痛いのかな?”、“しょうがないな、しょうがないな!”って恐怖心に負けることなく、自分から十字架に架かる勇気を持てるようになります。」

何田:「恐れないのですか?」

積先生:「神様に出会えた人間に“恐れ”はなくなります。“勇気”を持てるようになるからです。痛いくらいなら、しかたないか!って、我慢ができるようになります。
人間が生きている間に、神様に出会えるということは、本当に重要な出来事なのです。

最近ユーチューブで『坂本敏夫のプリズンゴースト』が映像で流れているでしょ。(坂本 敏夫(さかもと としお、ノンフィクション作家、元刑務官、積先生の兄)
あのプリズンゴーストの中で、拷問にあって亡くなられた人の“霊”を呼び出してお話しを聞かれています。
その“霊”は、生きている時の肉体的苦痛は、ある年月が過ぎると苦痛は、ほとんど重要ではない、ということを伝えています。
つまり、生きている人間にとって肉体的苦痛はものすごい恐怖です。しかし、死んだ後でその苦痛がずっと続くということは、ほとんどない。」

何田:「死んだ後でずっと続く苦痛は、思いぐせ、ずっと悩んでいた事とか、でしょうか?」

積先生:「それは“地獄的世界”ですね。“地獄”っていうのは、生きている時に闇が深い人が作ったもの、です。」

何田:「宗教的言い方をすれば、地獄へ行く人は、自分のことだけを優先に考えている人は地獄に行くといいます。しかし、実際の地獄に行く人は“たましい”に“闇”を持っている人、というか・・・。」

積先生:「“本当の地獄”というものは、“自分の闇”に閉ざされるのです。そこからはもう出られない。その人の“小宇宙”の小さな塊のまま、全体が闇の中に放り込まれて、そこでまた宇宙が生まれるのかもしれないけれど、そんな闇の宇宙には、私は興味がないのです。

聖書の予言の『最後の審判』にある、右と左に分けられた“左”に君は行ってみたいと思いますか? (何田注:“最後の審判”で右に行く人は“御国(みくに)”に住める人、左に行く人は“地獄(じごく)”に行く人)

何田:「いいえ、左に行きたいと思いません。
積先生、進化したコンピューターが、闇を理解したコンピューターが“光と逆の行動”をとった時はどうなりますか?」

積先生:「審判に到る光とは別な光のようなものによって、全く別な邪悪な地球の物語を紡いでゆきます。
その邪悪な地球の物語には、邪悪なルールによる物語が展開されることでしょう。
そこに“幸せ”が存在するとは思えません。」

何田:「積先生、“時間”って何でしょうか?」

積先生:「“時間”がないと“物語”が成立しない。
人間が神を知るためには、“人間として生まれて、成長して、死んでいく”という学びの時間がどうしても必要なのです。」

次回をおたのしみに!

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