第142回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2021年3月10日(水)

(通算第211回)
お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20201226収録)

積先生:「“義の人”でありなさいと私はいっています。“義の人”というのはね、宗教家が目指した本当の“神(様)の代理人”ということなのです。
バチカンの教皇が神の代理人ではないのです。
『神の義』を、人間世界において、体現する人が“神(様)の代理人”なのです。
ですから、そういう人達がアメリカで復活して、イエス様と共に戦っているのです。」

何田:「神の義を体現する人が神様の代理人になるのですか!」

積先生:「そうです。」

何田:「スティグマータ(聖痕)みたいに、イエス様と同じ場所にキズでてきて、血を流したり、という“聖なる印(しるし)”みたいに・・・これは神秘体験ですが。これではないのですね。」

積先生:「神秘体験ですよ。今、結構多くのマリア像が血の涙を流しています。」

何田:「えっ、そうなのですか?現代でも涙を流すマリア像がありますか?」

積先生:「はい、世界のあちこちのマリア像が、今の時代はこれから大変な時代になるから、涙を流しています。」

何田:「やっぱり、本当だったんですね。聖マリア像が血の涙を流すという現象は!
ファンタジーでなく本当だったんですね。」

積先生:「ええ本当です。どうして?」

何田:「積先生が、島道鉱泉水は意識があって、水が光の意識を持って“働きます”って言っているよ、といわれたのです。
その島道鉱泉水の意識は神々よりも上の光の意識です、とも説明してくださいました。
それで、水、H2Oは宇宙の初期5億年くらいには、もうすでに存在していた、とする説があるのを思い出して、水にも意識があるから、聖マリア像も涙を流すのは道理が通る、と思ったからです。
それで質問です。“物質”には意識がありますか?」

積先生:「“物質に意識がある”としか思えない。その辺の詳しい説明は、そのうち鷲尾さんがすると思いますが、要するに石とか、木とか、水とかは意識を持っています。
今までは人間側が、この世が穢れすぎていて人間の皆さんがその意識を感知できなかった、だけなのです。
それで、縄文時代の神様というのは石(岩)だったりするのですが、それは今でも死んでいません。
これから復活します。今まで黙っていただけ、だから。」

何田:「縄文時代の神様?ですか?」

積先生:「そうです。縄文時代の神様が復活して、いま日本を取り戻そうとしています。
だから、ここから日本でもますます面白いことが起きるのです。
で、そういうことを“感知できる人間達”がこれから生まれてきます。

人間の意識のクライマックスは、この聖書の時代の終わりなのですが、地球の精神史というのは、改めて正しい精神史が紡がれるようになると思います。
でも、それは私の役割ではないので。
(何田注:積先生の役割は聖書の時代を完成し、終わらせること)
なぜっていうと、それは精神学を学んだ人間は過去にも未来にも行けるからです。
意識は時間を越えて飛ばせるからです。」

何田:「ああ、お釈迦様の未来と過去を見通すことができたという超能力みたいなことですか?」

積先生:「そうそう、未来も過去も知覚できる能力、それが誰でもできるようになります。
そういう意識領域というか、脳を含めた人間の身体の潜在能力を高めるための教育が、これから必要になります。それは過去の宗教的な教育は必要ありません。
本当の神様の教育、つまり“精神学的な教育”がこれから必要になります。」

何田:「ということは、本当の“神様”と“たましい”を教える教育が大事になります。」

積先生:「“たましい”を教えるというより、精神学の立場はね、“やがて科学は神を再発見する”というのがテーマです。
神を再発見した時に、今の科学の根拠はすべて崩れるのです。それは“たましい”も存在すると認識することになる。
ですから、そこに“新しい知”の分野が生まれるのです。」

何田:「それはつまり科学的に実験してみたら、実際(精神学の)その通りだった、いうことになりますか。」

積先生:「今の科学技術では検出の方法がないだけだから。」

何田:「ちまたでは、例えば精神性の高い人が作る料理は美味しいと言われています。そのようなことは、ほとんどの人が知っている現象です。」

積先生:「そう、皆さん人間の感覚としては理解していることです。
だから人間は“わかる”のです。“わかる”ということは(事象として)“存在している”ということです。
今はまだ科学は知識が足りないので測ることができないというのは、科学が未熟なだけなのです。」

何田:「積先生は、生命は神様を測るため、または認識するために、物質宇宙が生命を誕生させ進化させた、と言われてきました。」

積先生:「私はそう思います。生命は精神的な進化のために、どうしても必要なものだったのです。
ただ、生命は死ななければいけないでしょ。生命の偉大なところは“死ぬ”というところです。
“死”は偉大なのです。
死ななければ、“更新”ができないから、です。」

何田:「ああ!そういうことでしたか。生命は誕生し、人間として身体で光と闇をわけ、脳で神様を考え、闇に光を当ててデータ化し、浄化する。
“たましい”は死なないで光の多いものは光で働き、闇の多いものは地獄に行く。
しかし、人間や生命の肉体は、更新するために死ぬ必要がある。

積先生、例えば虫のアゲハ蝶(チョウ)が青虫からサナギになり、サナギからチョウチョになりと変態しますがこれも“死”ですか?」

積先生:「そういう考えもできると思います。虫たちが姿を変えることは全く別な生き物になるということです。
だから人間なんて、いつまでも人間の形のままでいる必要はないですね。ある日突然、人間の背中から羽が生えて空を飛べてもいいでしょ。と思いませんか。

姿形は変わっても“たましい”というものの価値は失われるわけではありません。
そう考えれば、闇の者として生きるか?光の者として生きるか?といえば、光の者として生きた方が面白いよね。

今まで苦労が多すぎたから、皆さんが恐怖心で動けなくなっているのです。
2021年からその恐怖心が徐々に溶けていきます。」

次回をおたのしみに!

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