第139回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2021年2月17日(水)

(通算第208回)
お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20201226収録)

積先生:「2021年に向けて皆さんに、私からの最大のメッセージがあります。
何田さん、年初に『死んだらチャンネル』に書いてください。
例えば一般的日本人(人間)の代表として何田さん、あなたの今までの人生の最大のテーマは、“人間”と“生きるということ”と“お金”の関係、だったと思います。
それでジタバタ、ジタバタして、ずっと苦しい人生を送ってきたと思います。
それは何田さんあなただけではない、日本中の人々が皆さん、その三つのテーマで苦しんでいるのです。生きているのです。
『それを(苦しみを)終わらせる』という“約束”が聖書には書いてあるのです。

だから苦しんでいたらいいのです、今は。日本中の人々は、2021年はもう少し苦しむとは思うけれど、でももう出口は見えています。
それはどういうことかといいますと、
『今の地球のお金の秩序の背後には“悪魔くんがいる”っていうことを皆さんが理解すれば、いまの地球上の闇のお金はなくなる。
全部なくならないかもしれないけれど、闇のお金とは、別に“光のお金”が生まれてくる。』

『今の地球上のお金を支配しているのは闇の人間だってことを、地球の人間が、みんなが気が付かなければいけない!のです。
皆さんが闇のお金はそこまでほしくありません!って、いえば地球は確実に“光”に変わります。』
と、思いませんか?!」

何田:「闇の人間が動かしているから“闇のお金”なのですか?」

積先生:「そうです。」

何田:「積先生、お金に闇とか、光とかの特性はない、のですか?」

積先生:「ありません。お金は人間が呼び名をつけているだけです。
闇のお金は“お金がない恐怖症”に人間がさらされるのです。
最悪、人も殺すし、自分も殺します。
“お金がテーマ”です。

何田さん、『人類のテーマはずっと“お金がテーマ”だった』のです。
国家間の戦争も、お金がテーマなのです。」

何田:「積先生、昔の人間は寿命も短く、まだ若いうちから、“死(し)”について、身近なものでした。昔は人生50年、50歳にもなれば自分の“死”を考えて行動します。
しかし、今は医療も発展し、寿命は男女とも80歳を超えて、元気で、アンチエイジングとうたって、“死”を遠ざけています。
だれもが“死の恐怖”に対して無防備です。“死”そのものが“恐怖”の対象となってしまっています。本来“死”は崇高で“生(せい)”の総決算であるはずです。
皆さんに“死”をどう思いますか?って尋ねると“怖い”って言われます。」

積先生:「まあそうでしょうね。だって『死んだら終わり』って思っている人間達だからです。」

何田:「では積先生、質問です。イザナミの神様が黄泉の国に行かれて、後をおわれたイザナギの神様が黄泉の国からこの世に帰ってこられて、イザナギの神様の身体についていたのが“穢れ(けがれ)”であったと、それは“死”であったということ。
神様も“死”は怖いのでしょうか?
あっ、でも神様は“死なない”とも積先生は言われました。」

積先生:「神様は死なない、ですよ。“死”が穢れだ、というのはね、日本の神話として、人間に伝えるために人間世界の投影として“物語”の形になっています。
“日本の神話”というのは“ある目的”のために作られています。
ですから、それがすべて真実ではありません。しかし、それで良いのです。
『実は“日本の神話”というものは“聖書を保管するため”に置かれています。』

何田:「えっ!聖書を保管するために?日本の神話があるのですか?」

積先生:「そうですよ!日本の神話の一番肝心なところは、黄泉のお話しではなくて、『国譲り』のところです。
地上を治めていた大国主の神様が、『地上も(天と同じく)、天照の神様の子孫が本来の統治者であります。』ということを受け入れて消えていかれます。
それが日本神話(古事記、日本書紀)に書いてあります。

聖書のお話しでいうと、古事記、日本書紀では、天皇家というものの一族のお話しの中に、ある日突然、神功皇后(じんぐうこうごう)と応神天皇(おうじんてんのう)の神話が入ってきます。(何田注:神功皇后は応神天皇の母、仲哀天皇と神功皇后の子供が応神天皇にあたります。)
しかし、応神天皇は歴史書をどう読んでも、仲哀天皇の子供ではありません。
応神天皇は神功皇后が、仲哀天皇がお父さんでなくて産んだ子供です。
実は、『応神天皇はイエス様』なのです。
(何田注:生まれ変わりのことです。)
だから今の天皇のしくみというのは、 “イエス様がもしこの世の中に、御国(みくに)を作るとしたら”という形の物語なのです。
それが日本の歴史に挿入されています。
だから日本では平安時代に“死刑がない”のです。

平安時代の日本というのは、ある意味で“理想国家”だったのです。
“平安京(へいあんきょう)”の意味するのは“エルサレム”のことなのですから。

(何田注:事実「平安京」はユダヤの言葉、ヘブライ語の発音では「イール・シャローム=エルサレム」と訳されます。)

何田:「確かに、平安京のヘブライ語はエルサレムと直訳されます。それは私も知っていました。
聖書は旧約聖書と新約聖書の部分の2つが合わさってできています。」

積先生:「聖書(旧約、新約含む)のお話しは2000年前にあり、日本の神話は今から約1300年前に日本に起こります。
つまり聖書を作った存在が日本の神話も作っている、ということです。
それらのことを全部知っている存在が“最終知識”にも関与しています。

だから “聖書”“日本神話(古事記、日本書紀)”“最終知識”は全部一本の糸で繋がる一連の物語なの、です。

何田:「全部知っている存在が積先生をつかさどる存在さまですね。」

積先生:「そうです。最初から知っていたかどうかはわかりませんが、ただ地球上の神様データはそうやって、すべて統合されました。
いま地球の神様世界は統合された1つの世界になって、その世界の共通語が“日本語”になりました。
それ(しくみ)をつくるのに30年もかかりました。

次回をお楽しみに!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です