第106回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2020年7月1日(水)

(通算第175回)
お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20206013収録)

何田:「次の質問は『最終知識』にも『光文書』にも出てくるテーマです。
『光と闇』と『善と悪』の関係についてです。

よく一般に言われるのは、良い人生を送るためには“感謝しなさい”“感謝して生きるべき”と言われます。
これは本当にそうでしょうか?
感謝して働く、感謝して生きていく、ありがたく働かせてもらう。善行を施して生きる、まわりの笑顔のために感謝して生きる、などなど。
わかりますでしょうか?」

積先生:「わかりません。」

何田:「なんでも“ありがたい”と思って“感謝して生きる”とか、“周囲の笑顔のためにその要望を叶える”とか、“社会のいうことを聞いて素直に生きること”が本当に幸せに繋がるのでしょうか。
家族や周囲のためにいくら頑張っても、その人の闇の欲望を満たすことになれば、それを手伝っている人間は悪魔の手先になるのではないでしょうか?
結局、光を目指している素直で謙虚な行動は、間違った認識と思い込みで方向を誤り、闇を増幅し、闇の地球、闇の社会を作っていることになると思います。
善意って何ですか? 悪意って何ですか? 何も行動をしなければそれは悪にならないですか?
これは全部、闇を誤魔化していると思うのです。どうすればいいでしょうか?
お教えてください。お願いいたします。」

積先生:「まず、『“善”と“悪”という立場にわたしは立ちません。』と最初からお伝えしています。
『わたしは“正しい”か“正しくないか”です。』
じつは善と悪という言葉は宗教用語なのです。」

何田:「善と悪は宗教用語なのですか? 『善と悪』、『光と闇』は同意語ではないでしょうか?」

積先生:「ぜんぜん違います。『要は“正しい”か“正しくないか”が一番大切なのです。』」

何田:「正しいのが光ですか?」

積先生:「はい、そうです。でも、『地球には“正しくない光”というものも存在します。』」

何田:「えっ、正しくない光が存在するのですか?
よく考えてしまうのです。中学生くらいに習う数学で“集合”と“非集合”の関係です。
“A集合”があったらそれ以外は“非A集合”であって、A=光と考えると、非A=光でないもの、となります。
ここで皆さん、自分は光を目指しているから、闇を毛嫌いされます。
“あなた闇ですね”と聞けば、すごく否定されるか、落ち込まれて闇の自分を認めない。他方で人の闇を毛嫌いする。
ということは自分は“光の人”と思っておられるのです。

では、“あなた光ですね”と聞けば、しかし自分が全部光であるという自信が無いため、はっきり“自分が光です”と答えられない人が多いです。
はっきりと自分は“光の人”ですと答えられる人は光の人です。
では自分を光の人を答えられない人はじつは“闇の人”なのです。A集合:非A集合の関係でいえばです。
ところが自分を“闇の人”と認めないし、他人の闇を毛嫌いする人が、自分を“光の人”の自信なく、光の働きもしていないという、グレーな集合の境界線上に存在する現象です。

光を目指して光は好きでも、謙虚なのか?自分は光100%でないから自信を持って行動できず、でも他人の闇を嫌う。自分が闇を持っているのに・・・。あたかも自分が光100%の完全体であるように。自分の闇に向き合おうとせず。

つまり人は光と闇の解釈を自分の都合良くなるように調整しているのではないでしょうか?
その行動をしている原因が人間の “こころ(心)” なのでしょうか?(最終知識に記載されています)」

積先生:「わかりました。何田さん、あなたの質問と、あなたの体調(強烈な腰痛)と、今日持ってきたテーマと、闇のネットワークのお金儲けが全部、同じテーマなのです。
これを学ぶために、また君は高い授業料を払ったわけです。ははは、面白すぎるね。」

何田:「はあ、同じテーマですか? お金も、腰痛も、生きる意欲を無くすのも、そして目指す方向を見失って、一番大切な本当に目指すべき“道”を問い直すのも、同じテーマによるものですか?」

積先生:「全部同じテーマです。それを克服するために“宗教の時代”があったのです。
“イエス様を殺した者はあなたなのだ”ということが今人間の根本のテーマです。
イエス様を殺した者が住んでいる“たましい”を間違いなく私達は与えられて、人間として今ここに生きています。
そこで精神学が初期の目的を達するならば、“次の世代”、精神学の次の世代の地球で生まれる人間は、“イエス様を殺した神の子であるという神話”を持たない“たましい”を持った子供達が生まれてきます。」

何田:「それはどっちがいいのですか? その神話を持つ人と、その神話を持たない人では。」

積先生:「それは“イエス様を殺した神の子であるという神話”なら、持たない子供達の方がよいでしょう。
『原罪』を背負っていないのですから。
(原罪:旧約聖書におけるアダムとイブの神の楽園追放となった罪。原罪の本質とは、神に等しき善悪の知識を得る「知恵の木の実」を口にした事で、何が善か悪かを自分で決めるという「自らを神」とする事、すなわち『神への反逆』と解釈される。)

その未来の地球の子供達のために私達は働いているのです。
いまの自分たちの子供のためじゃないのですよ。

『この地球の未来が“約束された光の国であるため”に、私達は今、働いているのです。
人類の人間精神が作りだしてきた闇のエネルギーのお掃除をやっているのです。』」

何田:「あっ!“軽くなる”ってそういうことですか?」

積先生:「そういうことです!」

何田:「では積先生、その未来の光の国の子供達は“原罪”ということがわからないのではありませんか?」

積先生:「その子達にはわかりませんね、わからなくていいのです。
その子達はあなた達のような苦しみは味あわなくていいのです!

でも今の社会が続いたら、今の社会の延長上で生まれて来る子供達は私達よりもっと苦しい環境の中で生きなくちゃいけなくなるでしょ。
だから今の社会というか、この人間世界は今抜本的に変えなければいけないタイミングにきているわけです。
この時代、人間世界を一番破壊的にしているものは“お金(マネー)”なのですから。」

次回をお楽しみに!

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