新盆-3

〜訃報は突然に〜
その後は経過も順調で、闘病生活をエンジョイしているかの様にも見える母でした。
母の好物は、バニラアイスとパンケーキそして穴子寿司。
父は、見舞いの度に看護師の目を盗み?、穴子寿司を母の口の中に入れていたそうですが、看護師はそれを見逃さず、父が母にする行為は危険極まりないと、私にクレームの電話を度々してきました(笑)
その度に、父を叱りながらも私は母にバニラアイスをよく食べさせていました(笑)
今思えば、こんな事が楽しい思い出となりました。
この時は、母の死も遠のき、余命宣告を受けていた主治医からの言葉も、私や父・弟
の意識からは薄らいでいたような気がします。

訃報は突然に来ました。
一泊二日のイベントで東白川村に行っていた、10月22日の早朝、
母が入院している病院からの電話がきました。
『多慶子様が、6時20分に息をひきとりました』との訃報。
台風の影響で激しく雨が降る早朝に、車で病院に向かう私でした。

病院に着いた私は、穏やかな顔をして静かに永眠している、母を見て胸を撫で下ろしました。
そして顔を近くまで寄せて『お疲れ様でした』と言った覚えがあります。
早速、主治医からの説明を受けました。死因は突発性心不全でした。
看護師も驚いていました。数値も安定していて、前日の夕食も完食し、楽しく会話もしていたそうです。
ところが午前4時頃、突然心拍数が乱れたので、容態を確認したところ意識もしっかりとしていて、看護師に『大丈夫、水が欲しい』と言ったそうです。
そして、水を飲んだ母はそのまま眠りにつきました。
その2時間後の6時20分、また心拍数が乱れたので容態を見に行った時には、息が絶えていたそうです。苦しむ間も無いまま一瞬にして眠るように息をひきとったと思います。との事でした。

喪主の私は早速、神霊士の高田さんに連絡をし、『光への送り』を依頼しました。
高田さんと鳥羽さんは、台風の最中多くのアクシデントに見舞われながら岐阜に来られました。
公共交通機関は全線運行中止。そのため車を使用する事になるも、行く先々で通行止の憂い遭遇し、迂回路での進行を余儀なくされました。
普通ならば、貴志川〜岐阜間は、車で約4時間もあれば充分来れる時間なのですが、その日ばかりは8時間超をかけて来られました(只々感謝です)

岐阜に到着したのが深夜の11時過ぎだったと思います。
早速、母親の遺体と対面したお二人は、疲れも見せず、光への送りの準備に取り掛かりました。

10月23日、光への送り当日は、晴天!台風も去り雲ひとつない、日本晴れ🇯🇵
神霊士の高田さんは、颯爽とした立ち振る舞いで、斎場の駐車場で既に注目を集めていました。
火葬場の前室にある待機室で、母の『光への送りの儀』が始まりました。
喪主である私が儀式進行役を務めました。鳥羽さんが、場のお清め担当です。
約20分間で『光への送り』が終了しました。
そして火葬です。その日、最初に火葬されたのが母でした。
斎場の煙突から、天に昇る細く白い煙が母です‥。
真っ青な空に、良く映えていました。(涙々‥)
約2時間が経ち、遺骨になった母と対面しました。

 

追記

1日葬という葬儀を主催した、葬儀社の社長曰く、真心のこもった送りを
初めて見ました。心から送られているなと感じた瞬間に、胸が『ぽっと』
暖かくなりました。と感想を高田さんに耳打ちされたそうです。

神霊士の高田さん、鳥羽さん、改めて感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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