新盆ー4

 

〜散骨の弔問者〜
母の死から4ヶ月。2月20日は母の生誕日です。
その日を、散骨の日と決めていました。
父と弟には事前に声をかけてましたが出席はしない。との事でした。

母の生まれ故郷は、岐阜県美濃市上野、美濃和紙の里で有名な所です。
清流長良川の中流域に位置するこの村は、私の幼い頃までは、美濃和紙で生計を立てていた村です。勿論母の実家もそうでした。
清らかで、冷たい水が、美濃和紙の強度を作るとも言われています。
その清らかな川で、幼い頃の母がたくさん遊んだ話を聞いたことがあります。
子供の頃の私達も、母の実家に来た時は必ずこの川で遊びました。
私の娘達もその川で遊びました。
思い出が多く詰まったこの川が散骨に一番ふさわしいと、私は思いました。

予定をしていた20日は雨のため散骨を天気の良い日まで順延にしました。
翌々日の22日の朝、澄み切った空気が漂う日本晴れ‼︎
散骨にふさわしい日になって良かったな〜と言う想いと、約4ヶ月間、私の枕元にいた母(遺骨として)とのこれが最後の別れになる感慨深さから、目が潤みました。

目的の川(長良川の支流、板取川)に到着した私と娘は、川のせせらぎに朝日が反射して映し出される、鮮やかなコントラストに一瞬目を奪われました。
そして事前に用意した花弁と、母の遺灰を、川のせせらぎにそっと浮かべながら、散骨の祝詞を献上しました。
僅か10分位の散骨でしたが、晴々とした達成感にも似た感情が湧き上ったのを今でも覚えています。

その後、私達は河川敷をとぼとぼと歩き出したその時、頭上僅か3メートル位の位置で、何処からともなく鷹が現れて、私と娘の間を旋回するのでした。
一瞬何が起た?と言う戸惑いもありましたが、即座に腑に落ちました。
これは多分、母の在る意思が時空を超えて反映させた現象なのだと思えたのです。
無意識に涙が溢れ出ました。そして『おふくろ、ありがとう』と呟きました。
その後鷹は、上空で旋回しながら、私達が河川敷を渡り切り車の場所までたどり着いたのを確認して山に去って行った、想定外の弔問者なのでした。
(一瞬の出来事で、映像を撮る発想すら湧きませんでした‥。残念)
時間にして約10分位の感動のひと時であり、3度目の奇跡を目の当たりにした瞬間でした。

車に乗ったらすぐ様、積先生、神霊士高田さんに報告させていただきました。
そして、私は母の散骨を終えて思いました。
最後は自然に還る意識体としての人間のたましいには、お墓は必要でないことを確信すると共に、母の『命の書』への登録から散骨まで、約半年間の一連の流れの中で、精神学の学びを奇跡的な体験を通して検証しました。

〜最後に〜
生き方に責任が生じるように、死に方にも責任が問われる時代が来ました。
死に方で、その人間がどう生きたかが明らかになる事を、母の死をもって知った私は、これからを生きる一人の人間として、『命の書』への登録、『光への送り』、『自然への散骨』はこれからの時代を生きる人間が最も必要な概念だと考えます。
そして、私はこの概念を形にして、今後の生業にしたいと考えます。

 

 

 

 

 

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